■半天狗の鬼らしい本質

 だが、これほど強いにもかかわらず、半天狗は弱々しい姿で他人をあざむくことをやめようとしない。弱者を演じることは「善人」であることのアピールであり、優しい他人をだまして利用することも好むゆがんだ性格の持ち主だからだ。

 彼には人間時代にも、驚くべきエピソードがある。自分が犯した罪で打ち首になる直前、半天狗は鬼化して逃走できることになったが、奉行の男をわざわざ殺害したのだ。その場を速やかに立ち去ればよいものを、自分の悪行の目撃者を殺して、己の罪をなかったことにしようとするその卑劣さは筋金入りだ。

 ずる賢い半天狗は、優しい蜜璃からも「私悪い奴には絶対負けない」と叫ばれ、玄弥には「いい加減にしろ このバカタレェェェェ!!」と木をぶん投げられている。そして、普段は温厚な炭治郎からは考えられないようなセリフが出た。

「逃がさないぞ… 地獄の果てまで逃げても 追いかけて 頸を斬るからな…!!」(竈門炭治郎/15巻・第125話「迫る夜明け」)

■半天狗との戦いで見えた「大切なこと」

 思えば「刀鍛冶の里編」の鬼たちは、この戦いに参戦した鬼殺隊側の人間と見事なまでに対照的だった。

 自称・天才芸術家として、足りない要素から目を背け続けたのは玉壺だった。対して、天賦の才を持ちながら、それに溺れることなく努力し続けた無一郎。自分の力不足を嘆きながらも、命を賭して「才あるものの御技」を継承しようとした刀鍛冶の鋼鐵塚蛍。

 たくさんのうそをつき、言動に一切の責任を取ろうとしなかった半天狗だが、それに対して、自分にうそをつくのをやめて、本当の自分と向き合った蜜璃。兄にひどい言葉を口にしてしまった過去を償おうとする玄弥。

 人間としての「生」のためには、過去と、己の現実と向き合っていかねばならない。これこそが鬼と人間との間に横たわる境界線のひとつだ。

■炭治郎の成長

 そして、この戦いで最も成長したのは、他ならぬ炭治郎だろう。これまで炭治郎は、戦闘中に自分の命をささげることはあっても、まずは「禰豆子を守る」ことを何よりも優先していた。

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炭治郎が刀鍛冶の里の手にした「覚悟」