その後、ボクも、パチンコやスロットなどのギャンブルに、どっぷりハマった。借金もつくって、大変な時期もあったけど、今では「ギャンブル大好き芸人」というカテゴリーにも入れて、パチンコの営業や、ボートレースや競輪の番組にも出演させてもらっているから、結果的には、よかった。ボクという芸人の一つの個性になったし。これもギャンブルの魅力を教えてくれた父親のおかげだね。

 そういえば、まだボクが若手の頃、父親から、突然、サイン色紙が200枚送られてきたこともあった(笑)。「この色紙どうしたの?」と聞くと、「サインが欲しいと言ってくれている人がいるから、書いてくれないか」ってことだった。父親が、ボクに頼み事するなんて初めてだったから、とても驚いたのを覚えている。

 どうやら、当時、父親は仕事先で知り合った人たちに、「安田大サーカスのクロちゃんって知っていますか?」とよく口癖のように話をしていたらしい。「息子さん活躍されてますね」、そんな風に返されると、「ありがとうございます!」って、まるで自分のことのように喜んでいたとか。父親なりのひそかな普及活動のようなつもりだったのかもね。おそらく、そのサイン色紙も、そうやって声をかけた人たちに配ったんだろうと思う。息子のために、そうやって動いてくれたこと、ほんとうにうれしい。父親の愛情を感じた瞬間だよね。

●あいつの人生だから

 ちなみに、ボクが初めて「アイドルになりたい」と家族に伝えた時に、背中を押してくれたのも父親だった。

 あれは20年以上前。当時のボクは、まだ大学に在学中で、保育士になるために勉強していたころだった。それまでは、「将来は勇者になる」などと言って、フラフラして、両親を困らせていたボクが、初めて現実的な道を歩きはじめていた時だったから、当然、母親は、号泣しながら猛反対。「こんな息子に育てた覚えはない。絶対許さない!」ってね。

 そんな取り乱した母親を、説得してくれたのが父親だった。「あいつが、初めて自分の口からやりたいって自己主張したんだから。好きなことをやらせてやれ。あいつの人生なんだから」。父親は、そんな風に言ってくれたみたい。

 なぜ、父親は、そんな風に背中を押してくれたのか。

 どうやら父親は、昔、コックになるのが夢だったみたいなんだ。でも、あまり家庭が裕福じゃなかったこともあって、泣く泣くその道を諦めたらしいの。成績だってよかったから、本当は大学にだって行きたかっただろうけど、弟や妹のために、高校卒業と同時に、祖父と同じところに就職したんだって。

 その時の「夢を諦めた経験」が、ずっと心に引っかかっていたみたいなんだよね。だから、自分の子どもには決してそんな気持ちを味わせたくない。絶対、好きなことをさせてやろう、そう思ったらしいの。

 親の愛情って、ほんとうにすごいよね。ありがたくて泣けてくる。結果的にアイドルにはまだなれてないけど、そんな父親の優しさがなければ、絶対に今の自分はいない。ボクを見捨てないでいてくれて、ほんとうにありがとう。 冒頭で、プレゼントを渡した時のリアクションが薄いなんて、文句言っている場合じゃない!

 お父さん、今年の「父の日」、楽しみにしててほしいしん!

(構成/AERA dot.編集部・岡本直也)

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クロちゃん

クロちゃん

クロちゃん/1976年12月10日生まれ。広島県出身。2001年4月に団長安田、HIROと「安田大サーカス」を結成。スキンヘッド、強面には似合わないソプラノボイスが特徴。『水曜日のダウンタウン』(TBS系)でみせたモンスターキャラで再び注目を集める。その他、『レンタルクロちゃん』(中国放送)、『アッパレやってまーす!月曜日』(MBSラジオ)、『クロちゃんとクルーちゃん』(ABEMA)、『クロちゃんねる』(YouTube)などに出演中

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