それをヒトコトで言語化したものが、次の1行です。
他ならぬマネジャー自身が、主体的に働けていない。
個人としての能動性よりも、集団への受動性を優先する傾向の強い組織が日本にはまだまだ多いため、そのような職場環境ではそもそもマネジャー自身が主体的な姿勢で働きにくくなってしまう……。心当たりのある人は、まずはこうした前提やメカニズムについて深く認識してほしいと思います。
そのうえで、自身の当事者意識を取り戻すことから、全てをリスタートしていきましょう。それができない限り、部下も受け身でしか働いてくれないという構造がいつまでも再生産されていくだけです。
部下を変えようとするのではなく、自分自身を変えていく。
こうやって適切な認識=ノウ・ワイ(Know-Why)をベースにするからこそ、実践へのモチベーションもわいてくるはずです。その結果、最終的には部下が自ら変わっていくようなマネジメントにもつながっていきます。
■会社の存続にはビジョンの言語化が欠かせない
ここまでの話がさらにピンと来るように、ある企業での講演登壇時に出会った受講者さんとのエピソードをシェアさせてください。
その方も、当初は「うちの会社には理念とかビジョンとか、そういうのないんですよ」という状態で、まるで自身は被害者であるかのように振る舞っていました。
本人は「大変ですね……」とだけ言ってほしかったのだと思いますが、ひとしきり傾聴し労いの言葉もかけたうえで、私はこのマネジャーさんに次の質問を投げかけてみました。「本当に、絶対に、断じて何もないですか?」
私自身、2012年に独立起業してからは、サラリーマンではなく経営者としてのキャリアも積み上げてきています。
法人化し、「1枚で 自力と自信 輝かす」というビジョンを掲げ、自社の事業を営んでいるからこそ断言したいのですが、もし本当に理念や方針、パーパスといったものが何もなかったら、その会社はそもそも存続なんてできていません。