違うのは、人の話し声に対する価値観です。日米では基本の音量設定が違うように思うのです。渡米直後、自分の話す英語がなかなか現地の人に聞き取ってもらえず「What!?」と聞き返されるたびに落ち込んでいたのですが、「それは発音とか文法のせいじゃなく、単に君の声が小さいからだ」とアメリカ人の夫に指摘されてから口をはっきり開けてお腹から声を出すようにしたところ、面白いように話が通じるようになったことがありました。聞けば他にも似た経験をしている人がちらほらいました。はっきり発話せずとも文脈が共有できるハイコンテクスト文化のためか、口を大きく開くのを敬遠するシャイな国民性のためか、日本人ってアメリカ人と比較すると声が小さいみたいだねと在米日本人同士で話したものです。いや、アメリカ人の耳が遠いのか? ともかくそんなアメリカを経由した私の地声は、日本に戻った今も少し大きめです。
もうひとつ日本人がおとなしい、あるいはアメリカ人が賑やかだと感じるのは、日本人と比べてアメリカ人のほうが沈黙を嫌うからではないかと思います。静かすぎるくらいだったら、うるさすぎるほうを選ぶ。複数の人が集まってわいわい話をしているとき、ふと会話が途切れる瞬間を「天使が通る」とフランスで形容しますが、アメリカでは天使を通す間もなく誰かが言葉をつなぎます。会話上手な分、沈黙が訪れることをひときわ気まずく感じるようです。
小さな子どもと過ごしていると、1日のどこかで沈黙を強いられる場面が訪れます。子どもが親の方など見向きもせずジャングルジムをよじ登っていくときとか、道端に座り込みダンゴムシを拾い集めるのを横で眺めているしかないときとか。そんなとき、日本では静かに見守る親が多いのに対し、アメリカではよく通る声で実況中継する親が多いように感じます。「ダンゴムシを見つけたのね、一体何匹いるのかな? いち、に、さん、し……数え切れないくらい。おっと、そんなに強くつかむもんじゃありません、ダンゴムシが潰れちゃうでしょ。あら、それってもしかしてゾウリムシじゃないの?」なんて。