子どもはダンゴムシかゾウリムシに夢中で、親の中継に返事をすることはありません。でもいいのです。親は子どもというより、八割方は周りの人間に向かって言葉を発しているのですから。黙って子どもを見守るという状況が気まずく、何かしら口を動かさずにはいられないのです。自分はここで子どものムシ拾いに付き合っているだけであり決して怪しい者じゃございませんと表明したいという気持ちが無意識下にあるのかもしれません。そんな親の独り言にも似た言葉を「ゾウリムシならうちの子も好きだったねえ」と見知らぬ通行人がすくい上げ、その場で小さな会話が始まる──というのがアメリカの公園や街角でよく目にする光景でした。
子どもの声は、正直なところ親の自分でさえ耳をふさぎたくなることがあります。身近に子どもがいない人にとってはなおさら煩わしく感じるでしょう。もちろん静かにしなければならない場所で静かにするのは当然のマナーですが、騒音問題で公園が閉鎖され、「子どもの声より子に話しかける親の声のほうがうるさい」なんて発言をした芸能人もいて、ともかく親子連れは騒々しい、静かにするべきだという意識が当事者である親にもそれ以外の人にも根付いています。親子連れへの寛容度のレベルというかデシベルが、日本はアメリカと比べて低い。でも、親子連れの話し声もその他の音同様「慣れ」るものではないかと思います。現代は子どもの数が減り、さらに静かにすべしとの気運もあって、親子の声に対して社会が慣れていないのではないか。親子連れの声に憤るより、そこから会話が生まれるような社会になればいいのにと切に願います。
〇大井美紗子(おおい・みさこ)
ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi
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