それだけでなく、要人警護に対しても不備を生じさせるものだった。安倍氏銃撃の際、現場で警護に当たっていた警察官は、安倍氏と同じ視線で、聴衆の方にばかり目を向けていたために、後方から安倍氏に接近して自作銃を発射した犯人に気付かなかったことが警護上の問題として指摘された。
聴衆の方にばかり目を向け、「安倍帰れ」というような聴衆からの反応が生じることの方に注意を向け過ぎたために、後方への警戒が疎かになったとすれば、むしろ、札幌地裁判決にもかかわらず、「聴衆側からの批判的な言動に対しての警戒」を重視したことが、「聴衆ではない殺人者」からの襲撃に対して無防備な状況を作ってしまったと言える。
一方、反安倍派は、「安倍氏銃撃は、自民党が長期政権でおごり高ぶり、勝手なことをやった結果」などと、安倍氏の政治的責任が事件の原因であるかのような短絡的な議論に持ち込もうとしたり、SNS上では「安倍氏は犯罪者、刑務所に入っていたら、銃撃されることもなかった」などと挑発的に述べたりしていた。
この事件は「一つの刑事事件」であるのに、刑事手続きによる事実解明を無視し、何の根拠もなく、安倍氏への批判と殺害行為を結び付ける安倍支持派の論調は、事実を無視した「言いがかり」だった。しかし、安倍氏を「犯罪者」扱いして殺害を正当化する反安倍派が正しいわけでもなかった。安倍氏が批判されるべきは、説明責任を果たそうとしなかったことや、虚偽答弁の姿勢だった。それが「実刑に処すべき犯罪」であるかのように言うのは、「暴論」だった。
今回の安倍元首相殺害事件後の「安倍支持」「反安倍」のそれぞれの議論の極端化も、加計学園問題で見られたような第二次安倍政権における「安倍一強体制」の下での「二極化」と同様の構図に思えた。
そのような「噛み合わない議論」の一翼を担っていた安倍支持派の一部は、山上容疑者のツイート等で、安倍氏が「反安倍勢力」とは全く無関係に殺害されたことが明らかになっていっても、その「現実」が受け入れられないのか、安倍氏の死因の説明に不明な点があるなどとして、山上容疑者の背後に何らかの組織が存在するとか、「安倍氏は、山上容疑者の銃撃と同時に発射された別の方向からの銃撃で死亡した」などという荒唐無稽(こうとうむけい)な言説も出てきた。
しかし、「反安倍勢力」による殺害という陰謀論を、どのように組み立てても、山上容疑者の銃撃と、別の方向からの狙撃が偶然全く同じタイミングになる、ということは現実的にあり得ない。仮に、タイミングが一致したとすれば、山上容疑者と、「反安倍勢力」とが何らかの意思疎通をしていたことになるが、それはネット右派、いわゆるネトウヨの考え方に近い山上容疑者にとっては極めて考えにくいことである。しかも、そのような意思疎通が行われていた事実があれば、警察捜査の中で、山上容疑者の通信履歴等に全く痕跡が残らないことも考えにくい。
第二次安倍政権の時代に、森友学園、加計学園、桜を見る会などでの安倍首相への批判を、「モリ・カケ・サクラ」などと一括りにして、取るに足らない問題であるかのように声高に言い立てていたのが、安倍支持者であった。その言説の底の浅さが、安倍氏の殺害事件発生によって露呈していったのは皮肉な現象だった。
●郷原信郎(ごうはら・のぶお)
1955年生まれ。弁護士(郷原総合コンプライアンス法律事務所代表)。東京大学理学部卒業後、民間会社を経て、1983年検事任官。東京地検、長崎地検次席検事、法務総合研究所総括研究官等を経て、2006年退官。「法令遵守」からの脱却、「社会的要請への適応」としてのコンプライアンスの視点から、様々な分野の問題に斬り込む。名城大学教授・コンプライアンス研究センター長、総務省顧問・コンプライアンス室長、関西大学特任教授、横浜市コンプライアンス顧問などを歴任。近著に『“歪んだ法"に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』(KADOKAWA)がある。