批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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LGBT理解増進法案が議論を呼んでいる。政権は広島G7前の法案成立を目指していたが、自民党保守派の反対が強く難航。16日にようやく党総務会で修正案を了承し、与党案での国会提出が可能となった。
筆者は立法趣旨に賛成である。性的少数者の権利は守られるべきだし、差別も禁止すべきだ。しかしこのままの採決は禍根を残しかねない。修正案は左右双方から批判されている。保守は法自体が不要だと主張し、リベラルは修正が不当だと非難している。各国駐日大使の意見表明やG7を意識した拙速(せっそく)な進行も反発を強めている。
そもそも国民の議論が熟していない。テレビ朝日の13、14日の世論調査では、同法のG7前成立を「必要ない」とする回答が半数を超えた。ネットでは、女子トイレや更衣室のジェンダーレス化に対し不安を訴える女性の声が強い。懸念を払拭(ふっしょく)せず強引に法整備を進めることは、今後の性差別をめぐる議論を歪めかねない。議論は仕切り直すべきではないか。
同時に今回の騒動は、現代の日本で少数派の権利支援を制度化すること、それ自体の困難を浮き彫りにしてしまったともいえる。読売新聞は13日の社説で「法律の趣旨を逸脱した過剰な主張や要求が横行し、社会の混乱を招く恐れがある」と記している。似た意見はネットに溢れている。LGBT法は新たな利権を作り、新法を盾に無理な要求をする「活動家」を生み出すというのである。
この意見こそ差別だと非難するのはたやすい。しかし問題は、そのような懸念を抱き、弱者という言葉自体に反発する国民が多数いるという現実である。彼らも有権者なのだから、政治家は意見を無視できない。今年初めには若年女性支援団体の会計不正疑惑が注目を浴び、糾弾者に数千万円もの寄付が集まってしまう出来事も起きた。このような「弱者不信」の環境そのものを変えないと、今後この国の社会福祉は必ず行き詰まるだろう。
弱者に手を差し伸べると返り討ちに遭う。そんな不信が蔓延する社会がうまくいくわけがない。開かれた議論と透明性の高い制度が求められる。
◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2023年5月29日号