青木、尾崎とくれば、お次は中嶋常幸。海外メジャーでは1988年の全米プロゴルフ選手権3位など、通算37回の出場で6度のトップ10入りを果たしているレジェンドだ。そんな中嶋だが、こうした好成績よりも大叩きの方が記憶に残るオールドファンがいるのではないだろうか。
1978年のマスターズでは、アーメンコーナーの13番パー5で2度クリークにつかまり、11オン2パットの『13』という大叩き。この13打はトム・ワイスコフ(米)、セルヒオ・ガルシア(スペイン)とともにメジャーにおける1ホールの最多打数として今でも破られていないワースト記録だ。
また、同年にセントアンドリュースで開催された全英オープン3日目では、首位タイで突入した17番でガードバンカーに入れると脱出に4打を費やし『9』。その後、このバンカーは中嶋の海外での愛称トミーから“トミーズバンカー”と呼ばれるようになった。なお、青木、尾崎、中嶋の“AON”が活躍した1970、80年代は、この他、倉本昌弘が1982年の全英オープンで4位タイとなっている。
1990年代は日本勢の上位進出はなかったが、これに風穴を開けたのが2001年の伊澤利光と片山晋呉。この年の伊澤はマスターズで4位タイフィニッシュすると、片山も全米プロゴルフ選手権で4位タイにランクイン。“カウボーイ・シンゴ”の愛称で人気となったその後の片山は、2009年のマスターズでも4位と上位進出を果たしており、国内ツアー賞金王に5度輝いた実力を見せた。
米ツアーで3勝している丸山茂樹も、メジャーの舞台で優勝まであと一歩に迫ったプレーヤーの一人だ。2002年の全英オープンでは、最終日を3打差の3位タイで出ると一時はトップに。最後は1打足りず5位タイとなったが、天候が目まぐるしく変わる中での奮闘は観るものを熱くさせた。また、2004年の全米オープンでは、首位タイで決勝ラウンドに進み4位タイフィニッシュし、全英オープンを上回る成績を残した。
この他の日本勢で上位に食い込んだのは、2006年全英オープンの谷原秀人で5位タイ。尾崎直道、谷口徹、石川遼など何度もメジャーにチャレンジしている日本人プロはいるが、悲願どころか優勝争いにも絡めていないのが実情となっている。