登場人物であるモデルやミュージシャンの大学生たちが、東京の街で送るアーバンライフを、過剰なまでに列挙されたブランド名、442個にも及ぶ注と共に描き出した、小説『なんとなく、クリスタル』。その斬新な発想と文章は、発表された1980年当時、大きな話題となりました。
本書『33年後のなんとなく、クリスタル』は、この『なんとなく、クリスタル』の33年後の世界が舞台となっています。
連絡手段は固定電話からフェイスブック、ツイッターへと変わり、当時大学生だった登場人物たちは50代に。結婚/離婚/再婚する者、子どもを持つ者、仕事に生きる者と、登場人物たちはそれぞれの人生を送っています。
また、80年代の高度経済成長の真っ只中から、高齢化社会をはじめ誰もが不安を抱くなど時代背景もガラッと変わっています。さらに、この30年余りの時間の中で、阪神淡路大震災、東日本大震災と多くの災害も起こりました。
「記憶の円盤」という言葉と共に、主人公ヤスオの時間は過去から現在へと、こうした30年の月日を自由に飛躍し、物語は展開していきます。
しかし時は経たものの、登場人物たちは高級料理店やバーで会い、全面ガラス張りの窓からは北の丸公園や大手町、豊洲までもが一望できる友人宅で女子会を開催。しかも代官山のイタリアンからケータリングをとる、といった相変わらずのアーバンな生活です。
また著者・田中康夫さん自身を彷彿とさせるような主人公ヤスオは、ワインやAOR系の音楽のウンチクを語り、プレイボーイぶりを遺憾なく発揮。登場人物間では男女の大人な駆け引きが繰り返され、時に芳醇な大人のムードが漂うことも。
そうした文中には、ふいに次のような一節が記されます。
「話しても、人間は完璧には判り合えない存在だ。が、であればこそ、会話する価値が、その必要が生まれるのだ。恋愛でも、家庭でも、職場でも。政治や外交の折衝に於いては言うに及ばず。
なのに、会話として成立していない、〝一方通行の言いっ放し″が最近は目立つ。成熟した大人の社会に相応しい豊かな〝おしゃべり″など、はなから拒むかのように」
本書において登場人物たちが繰り広げる会話は、まさに「成熟した大人の社会に相応しい豊かな」会話そのものであり、そうした会話の含みやディテールの追求に、著者は人生の機微を見てとろうとしているのだとも言えるのではないでしょうか。