芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、「未完」について。
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2025年に大阪・関西万博が開催されるという。僕が関わった1970年大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だった。この万博にお声がかかり「せんい館」のパビリオンの設計の依頼を受けた。依頼されるまでは反博(万博に反対)の立場を取っていたが、一生のうちに二度とないだろうという建築の仕事に反博精神は一転。当時、大方の芸術家が参画しているというこの国家事業は一介のグラフィックデザイナーにとっては一世一代最大のチャンスである。創造的な魅力の前では反博のイデオロギーは、逆に芸術コンプレックスの反動でしかなく、一瞬に僕は手のひらを返すように、この国家的事業を引き受けることにした。創造の魅力の前では反博精神は問題ではなかった。
ただ引っかかるのはテーマの「人類の進歩と調和」である。この口当たりのいいテーマは、そのまま芸術行為に反するものだった。この擬装されたテーマを裏切るような建築パビリオンができないものかと、考え続けていたが、ある日工事中の現場に足を踏み入れた時、建造物の中央に突き出した巨大なドームに工事用の足場が組まれていたのを目撃した途端、なんとしても、この足場を残すことで、建築のプロセスを未完のまま完成できないかと思い、本会議で僕の希望をプレゼンテーションしたが全員一致で反対された。
そこで僕は攻撃に転じた。「では、このパビリオンの決定権を持った最高責任者に会わせて欲しい」と要請した。「せんい館の最高責任者は谷口豊三郎氏だ。しかし氏は目下日米繊維問題でニクソンと連日対峙しているので無理!」との回答だったが、1分1秒でもいい、直接会わしてもらいたいと組織委員会につめよった。では10分の時間を与えようとなり、僕はプロデューサーと2人でせんい館の最高責任者との面談を許されて、そこで、僕はせんい館のコンセプトを一気にしゃべりまくった。その結果は「私はあなたのおっしゃることはよくわかりませんが、あなたのせんい館に対する情熱だけはよく伝わりました。その情熱が実現できるなら、思い通りにやって下さい」と僕の横で無言のままいたプロデューサーに実行の指示をされた。