2014年4月5日付の朝日新聞に「『健康』基準、緩めます 血圧・肥満度など、学会見直し」という記事が掲載された。11年に人間ドックを受けた約150万人のうち、「たばこを吸わず、持病がない」などの条件を満たす約34万人の「健康な人」から5万人を抽出して27検査項目を調べたものだそうだ。

 その結果、これまで130未満を「異常なし」としていた収縮期血圧は147でも健康だった。同様に「異常なし」が85未満だった拡張期血圧も94で健康、25以上を肥満としているBMI(肥満度を見る体格指数、体重÷身長÷身長)の正常範囲も男性で18・5~27・7、女性は16・8~26・1だった。総コレステロール値も200未満が正常とされているが、男性では254まで、女性では30~44歳が238まで、45~64歳が273まで、そして65歳~80歳が280まで正常となった。

 今までの基準値は何だったのかと憤慨されている方もいるだろう。従来の基準値で「異常あり」とみなされ、すでに薬を飲んでいる人もいるだろう。なぜ、こんなことが起こるのか。このような医療の不確実性を書き下ろしたものが今回の著作である。

 著者が医師としての人生をスタートしたのは30年前。その頃は上の人たちから教えられることはすべて正しく、権威に間違いはなく、医療は正確無比と思っていた。ところが、臨床医としての経験を重ねるうちに「人はいろいろである」という当たり前のことに気づかされた。そして、医療の進歩は決して真っ直ぐな一本道を突き進んでいるのではなく、ウロウロとした歩みであることもわかってきた。

 20年単位で見れば、たしかに医療の進歩は実感できる。しかし今、医療現場で行われていることが本当に正しいかはわからない。その是非が判明するのは数年後かもしれないし、遥かに先の私たちが死ぬ時かもしれない。

 明らかに間違っているであろうことと、正しいであろうことはだいたい見当がつく。しかし、医療ではそのどちらにも属さないグレーな領域の幅が広い。だからこそ、本やテレビ番組では両極端の意見が述べられるのである。

 医療は“壮大な人体実験”を繰り返しながら、日々、着実に進歩している。今、現場で行われていることは、その進歩の途中なのだ。完璧な医療など、どの時代にも存在しない。

 さらに医療業界にも市場原理は働いている。殊にグレーな領域では、お金が回る方向に動きやすい。ほかの業界に置き換えて考えてみてほしい。資本主義の素晴らしさを享受している以上、それはごく自然なことなのである。

 そんな二つの視点を持っているだけでも、医療に対して感じていたモヤモヤが、随分腑に落ちるのではないだろうか。医療の現実を知ることは、賢い患者になるための1歩であり、いい人生へとつながっていくと私は考えている。

 自分や家族の健康を守るために知っておいてほしい。そんな思いをこめて本書をしたためる過程は、過去の自分に対する自責の念を伴う作業だった。しかし、それは私も医師として進化しているということ。「100%の絶対」はなくても、そのときそのときの最善を尽くす。それが医師の使命だと思っている。

 昨年、臨床医の私が過分な賞をいただいた。イグ・ノーベル医学賞だ。この賞は23年の歴史があり、毎年約9000件の中から10件が選ばれる。「Make people laugh, and then think」が根底にある選考方針だ。ありえない(Improbable)研究で笑いを誘い、1回聞けば1週間後も1カ月後も脳裏に残り、かつ考えさせるものでなければならない。

 受賞に輝いた研究は、マウスにオペラ『椿姫』を聴かせると移植した心臓が拒絶されないというもの。平均40日、中には90日近く拒絶されないマウスもいた。モーツァルトでは20日、エンヤの音楽では11日、無治療群や単一振動音、工事現場の音、演歌、尺八の音では8日で拒絶が生じた。

 奇妙な実験だが、再現性がある。マウスにも「病は気から」はありうるかもしれないというメッセージである。

 マウスはヒントしか与えてくれない。しかしそれで十分だ。体重20グラムのマウスでも脳が免疫をコントロールしている。人間も気の持ちようが大切なことは十分に推察できる。リラックスして生きることが大切なのだ。

 長寿が勝者で短命が敗者であるような現在の風潮を私は好まない。大切なことは人生の中身ではないだろうか。

 寿命はある程度、遺伝子と生きてきた生活環境で規定されている。誰もがいつかは死ぬ人生なのだから、精いっぱい充実した人生を送ろう。その結果が長生きにつながれば最高ではないか。医療の現場ではもちろん、本書を通じて、多くの方々の人生を応援していけたらと思う。