『風立ちぬ』松田聖子
『風立ちぬ』松田聖子
『SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2013 “A Girl in the Wonder Land
『SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2013 “A Girl in the Wonder Land"~BUDOKAN 100th ANNIVERSARY~』 [DVD]松田聖子

 わたしは松田聖子を、日本が生んだ最初の大物ポップ・シンガーだと思っている。
 それまでも、ポップスと呼べるものがなかったわけではない。たとえば1960年代、漣健児が訳詞をした一連のアメリカン・ポップスで、日本のポップス史ははじまったと言ってもいい。
 日本人は、坂本九《ステキなタイミング》、飯田久彦《ルイジアナ・ママ》、中尾ミエ《可愛いベイビー》、弘田三枝子《ヴァケイション》をはじめとする一連の作品をテレビのバラエティ歌謡番組で聴いた。スタジオの中では、オープンカーに乗ったおしゃれなお兄さんやお姉さんが、楽しそうに、からだを揺らしながら歌ったり踊ったりしていた。サングラスは必須アイテムだった。サングラスを頭にさしている女の子もけっこういた。ミニスカートでツイストなんかを踊っていた。といってもその当時、子供のわたしから見たら、女の子というよりは、かなりお姉さんだったが。
 しかしそれは、日本語で歌われながらも、どこかアメリカの音楽というイメージだった。

 わたしが同世代の歌手としてはじめて認知したのは、森昌子だった。
 1972年の初夏だった。高校1年生の時だ。クラスの同級生が新聞に載っていると話題になった。その地元紙を見ると、《せんせい》でデビューした森昌子が、地元、栃木県宇都宮市の二荒山神社の境内で、今でいうリリイベ(リリース・イベント)のライヴをやったという。その新聞記事の写真の真ん中に、ロープにすがりつくようにして森昌子を見ている彼の姿があった。この写真によって、身近なところからスターが生まれたことを知った。ちなみに、森昌子はわたしより2才年下だ。

 それからしばらくして、ある友人の家に行ったとき、彼の部屋一面に麻丘めぐみの写真やポスターが張り巡らしてあるのに驚いた。特に、ベッドの上の天井に、等身大より大きいのではないかと思える全身のポスターが貼ってあるのには、恐怖さえ感じた。

 南沙織の《17才》や麻丘めぐみの《わたしの彼は左きき》など、わたしも好きであった。しかし、レッド・ツェッペリンやビートルズ、あるいは、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンにかぶれている17才の男子高校生にとっては、麻丘めぐみのポスターを部屋に貼るわけにはいかなかったのだ。当時、レコードにはポスターがついていたりしたものもあったのだが、わたしが壁に貼るのは、シカゴやサンタナのポスターだった。
 奥手だったのだろうか?

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