『ル・ノイズ』ニール・ヤング
『ル・ノイズ』ニール・ヤング

 長いキャリアを通じてニール・ヤングは、徹底してホームグロウン的な創作スタイルを貫いてきた。デイヴィッド・ブリッグスが亡くなるまでは、ほぼすべての作品を彼との協働態勢で仕上げてきたことからもわかるとおり、プロデュースを最先端の有名クリエイターに任せるなどということもなかった。参加ミュージシャンに関しても同様のことがいえる。なにせ、あのクレイジー・ホースとの関係をずっと、なによりも大切にしてきた人なのだから。

 2010年を迎えたころ、彼は一度だけ、その基本ルールを棚上げしている。同郷のプロデューサー/アーティスト、ダニエル・ラノワに制作を委ね、彼が当時の創作拠点としていたLA、シルヴァーレイク地区のホームスタジオでアルバムを仕上げたのだ。その成果が、同年秋リリースの『LE NOISE』である。

 ニールより6歳下のラノワは、クェベックの出身。両親の離婚後、母親や兄とオンタリオ州に移るまではまったく英語を話していなかったそうだが、10歳前後での、その大きな環境の変化と相前後して、彼の心はアメリカの音楽、ロックンロールやカントリーに惹かれていったという。17歳のころには、自宅の地下に録音機器を持ち込み、ローカル・バンドのデモ録音などを手がけるようになった。そして、その一部をたまたま耳にして興味を持った奇才ブライアン・イーノに誘われて彼のプロジェクトに参加。U2の『ザ・ジョシュア・トゥリー』やピーター・ゲイブリエルの『SO』、ボブ・ディランの『オー・マーシー』などをプロデュースし、一躍、時の人となったクリエイターだ。

 だがニールは、ヒット請負人としてのラノワに頼ったのではない。ラノワ側から話を持ちかけたわけでもない。ブラック・ダブというユニットでの、ぎりぎりまで無駄を削ぎ落とした音と、そこから浮かび上がる映像感のようなものに強い興味を持ったニールが、彼のほうから電話をかけてきたのだという。90年代半ばにラノワがプロデュースしたエミルー・ハリスの『レッキング・ボール』(タイトル曲は『フリーダム』収録のニール作品で、彼は録音にも協力している)も、ひとつのきっかけとなったようだ。

『LE NOISE』収録曲はすべて、ギター1本を抱えての、ソロ・パフォーマンス。アコースティックが2曲、ギブソン/グレッチが6曲という構成だ。ニールらしい、ニールにしか書けない曲を、一切の無駄を排してライヴ録音。そこから生まれる倍音やノイズ、残響音などにラノワが独特の感性で処理を加え、聴く者を深く引き込んでしまう、魅力的な空間に仕上げている。[次回3/26(水)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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