特定秘密保護法が強行採決され、NHKの会長があんなザマの昨今、報道はどうあるべきか。阪井宏『報道の正義、社会の正義』はこんな時勢にピッタリな1冊。「人命救助か報道か」「危険な取材に向かう時」など、「究極の二択」ともいうべき問いが次々と発せられる。
 たとえば福島第一原発事故の際、各メディアは「ただちに人体に影響はない」という政府発表をそのまま報道する一方、住民に何も知らせず社員を避難させ、現地の人々を激怒させた。ではどうすべきだったのか。「命がけで取材エリアにとどまれ」と命令する会社はどこにもない。ただ、と著者はいう。〈「記者・カメラマンを避難させる」との自社判断を、あらゆる手段を使って地元自治体や住民に知らせることである〉。判断の基準や撤退後の報道体制も含めて説明するのが〈メディアのとるべき最低限のモラル〉だと。
 インターネットが普及した現在、マスメディアの対応は後手に回りがちである。あてにならぬと踏んだ市民メディアが脱原発デモをヘリで撮影した。では新聞に利用価値はないのか。私なら、と著者はいう。〈見開き紙面をすべて使い、出来る限りのデモ参加者の顔写真を載せる〉。実名、年齢、出身地などの個人情報と原発再稼働に反対の理由も。〈匿名社会への抵抗こそが、ネット時代にマスコミ、特に新聞が果たすべき重要な役割〉だからだ。
 橋下徹氏をめぐる部落差別問題の報道でしくじった「週刊朝日」に対するキツーイお達しも。〈はっきり言って読むに耐えない〉。
 著者は北海道新聞の元記者。〈支配する側にかみつく。番犬のようにほえる。それが新聞本来の役割だ〉という主張にいまさらながら目が覚める。2月12日に国際的なジャーナリスト集団「国境なき記者団」が発表した「世界報道の自由度ランキング」で日本は59位までランクを落とした(12年は22位、13年は53位)。これ以上の愛玩犬化が進まないうちに、番犬よ、ほえろ。

週刊朝日 2014年3月7日号