『ドント・プレイ・ザット・ソング』ベン・E・キング
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『ラスト・ダンスは私に』ザ・ドリフターズ
『アメリカン・グラフィティ』オリジナル・サウンドトラック

《スタンド・バイ・ミー》という曲について語ろうとすると、3つの道が現れた。

 ひとつはオリジナル、1961年発表のベン・E・キングの《スタンド・バイ・ミー》だ。
 ベン・E・キングは、ソロになる前はドリフターズというグループのボーカルだった。ドリフターズ時代には、《ラストダンスは私に》などのヒット曲がある。

 この曲は、第44回のエディット・ピアフの時にも紹介した越路吹雪が得意としたレパートリーのひとつだ。わたしは紅白歌合戦の越路吹雪の歌で、この《ラストダンスは私に》という曲を知った。しかし、それがアメリカのドリフターズというグループが歌っている曲だと知るには、まだ長い道のりが必要だった。

 10代の終わり、19歳の時にわたしは映画『アメリカン・グラフィティ』に出会う。
 多くの方が知っていると思うが、簡単に紹介する。
 73年の映画で、監督は当時ほとんど無名だったジョージ・ルーカス。彼の2作目の作品だ。プロデューサの1人に、フランシス・フォード・コッポラがいる。お金をかけずに作った青春映画ではあるが、大ヒットした。また、リチャード・ドレイファスやハリソン・フォードといった大スターが、この映画から生まれている。

 62年のアメリカ、カリフォルニア州のある街での一夜を描いている。高校卒業前夜、将来の夢と不安に揺れる少年少女たちが主人公だ。
 しかし、この映画がわたしにとって忘れがたいものになったのは、その中で使われている音楽だった。
 舞台となった62年頃に、ラジオでよくかかった音楽が使用されている。1曲だけ64年の曲が入っているが、興味のある人は探してみてほしい。選曲はルーカス自身がおこなったようなので、彼の好みと悪戯心でいれたのではないかとも思われる。

 これが、わたしとフィフティーズの出会いだった。
 わたしの世代(1956年生まれ)は、ビートルズの解散(70年)に間に合い、ロックの洗礼を受け、レッド・ツェッペリンをはじめとするハード・ロック、ブラッド・スウェット&ティアーズやシカゴのブラス・ロック、ピンク・フロイドやクリムゾン・キングのプログレッシブ・ロックを体験し、はたまた日本のフォークの洗礼を受け、へたでも自分のギターをほしがった。

 しかし考えてみたら、それまでのわたしは、その前のポップスには興味がいかなかったと思う。
 たとえば、《ロール・オーバー・ベートーヴェン》を聴いても、ビートルズの演奏する《ロール・オーバー・ベートーヴェン》で充分だったのだ。

 ところが、この『アメリカン・グラフィティ』と出会ってからは、フィフティーズはもちろん、自分が好きなロッカーたちがカバーしている過去の曲を探っていく旅がはじまったのだ。
《ロール・オーバー・ベートーヴェン》の元歌はチャック・ベリーであるとか、《プリーズ・ミスター・ポストマン》は、マーヴェレッツという女性コーラス・グループの曲で、モータウンというレーベルのアーティストが面白そうだ、などと知り始める。
 それから『アメリカン・グラフィティ』の最初に登場するビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツが演奏する《ロック・アラウンド・ザ・クロック》が、ロックンロールの最初のヒット曲だというのを知る。今にして思えば当たり前の話なのだが、ロックンロールにも歴史があるのだということに気づいたのだ。

 そんなフィフティーズの中に、ちょっとしゃれた感じの曲がいくつかあることに気づいた。
 たとえば『アメリカン・グラフィティ』の卒業パーティーで、主人公の男女2人がダンスをするときに流れる《煙が目にしみる》や、クライマックス近くに流れる《オンリー・ユー》など、けっこう気分出しちゃっていて、女の子といっしょの時など使えるな、などということも考えながら調べていくと、演奏しているのは2曲ともプラターズというグループで、これらのジャンルを「ドゥーワップ (doo-wop) 」と呼ぶことを知る。簡単に言ってしまえば、「コーラス・グループ」だ。

 そして、ドリフターズに出会う。紅白歌合戦でシャンソン歌うなぜか気になる歌手、越路吹雪が歌っていた《ラストダンスは私に》は、ドリフターズの曲だったのだと、この時に知る。
 聴き進める中、ドリフターズが歌う《アップ・オン・ザ・ルーフ》が、キャロル・キングの曲だなどと気づいては、独りで喜んでいた。そして、ドリフターズのヴォーカルが、ソロになって出したヒット曲が《スタンド・バイ・ミー》だ。歌っているのは、もちろんベン・E・キング。

 そのころ、顔に靴墨をぬって、「ドゥーワップ」を歌う日本人グループがいるという情報を得る。おもしろそうだというので、今はなき新宿の「ルイード」というライヴ・ハウスに観に行った。語りもたのしく、歌唱力もなかなかだった。シャネルズというグループだった。
 その後、シャネルズはデビュー曲《ランナウェイ》が大ヒットし、お茶の間の人気者になっていく。しかし、その後はトラブルなどが続き、ラッツ&スターと名前を変える。リード・ヴォーカルの鈴木雅之をはじめ、今でも活躍しているメンバーがいる。
 これが、わたしとベン・E・キングの《スタンド・バイ・ミー》に関する思い出だ。

 そしてもうひとつは、映画『スタンド・バイ・ミー』。
 原作は、S・キューブリック監督が映画化した『シャイニング』などモダン・ホラーで知られるスティーヴン・キングの少年小説の映画化であるが、ベン・E・キングの《スタンド・バイ・ミー》が、その主題歌に使われている。
 この映画で、《スタンド・バイ・ミー》を知った方も多いと思う。
 この映画、仲よし少年4人組が、行方不明の少年の死体を探しに行くという内容で、4人が線路の上を歩く姿と、《スタンド・バイ・ミー》がマッチしていて、忘れがたい印象を残した。

 そしてもうひとつ、個人的な思い出がある。小学校からの友人と飲んでいた時、彼が話し始めた。彼は市役所の生活保護関連などを担当していた。
 市民から、線路の下のトンネルに捨てられた車の中に男が住んでいるようだと通報があった。彼が調べに行くと、そこには、すでに亡くなった男がいたという。
「それがな、その男、あいつだったんだ」と、小学校の時の同級生の名前を言った。
「同窓会の時、就職できたって、喜んでいたじゃないか」というと、酒がやめられなくて、仕事を失い、家族からも見捨てられ、独り廃車の中で暮らしていたというのだ。
「もっと早く、行ってあげればよかった」と友人は言った。
 映画『スタンド・バイ・ミー』といっしょに、彼の話がわたしの中でダブっていく。

 3つめは、ジョン・レノンのカバーした《スタンド・バイ・ミー》だ。
 こんなにたくさんの人から愛され、わたしにも、たくさんの思い出をくれた名曲《スタンド・バイ・ミー》。ぜひ、オリジナルの歌声で聴いてみたい。[次回2月12日(水)更新予定]

■公演情報は、こちら
『ベン・E・キング スタンド・バイ・ミー ライブ2014』(東京都)

『ベン・E・キング』(名古屋)

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