――写真への関心はいつからですか。
3~4歳のころですね。一緒に住んでいた祖父の手塚粲(ゆたか)が、若いころから写真にはまり、安井仲治さんなども参加した「丹平写真倶楽部」の主要メンバーだったんです。アマチュアながら「丹平十傑」と呼ばれ、関西写真界ではちょっとした有名人だった。自宅に暗室があったので、ぼくも幼いころからそこに出入りしていました。当然のようにライカもあって。
――お父様(手塚治虫氏)もカメラ好きでしたか?
父は家族の記念写真を撮る程度で、カメラを持ち歩いている姿は記憶にありません。だからぼくの場合、完全に祖父の影響です。ただ、最初にはまったのは8ミリカメラ。小学生のころは怪獣の人形を庭先に立たせて、怪獣番組を作るまねごとをして遊んでいた。テレビっ子でしたから、静止画より動くものに関心があったんですね。それが今の仕事につながっています。中学の3年間は写真部に所属したのですが、本当は映画を作りたかった。一眼レフを自分で買ったけれど、機種も思い出せないですから、気が入ってなかったんでしょう。
写真をやりたいと思いはじめたのは、映画の世界に入ってからですね。現場にスチルカメラマンがいるでしょう。それを見て、「自分でも撮ってみたい」と思うようになった。そこで子供のころから見ていた祖父のライカを思い出し、同じものを買おうと店に行きました。ところが、値段を見てびっくりした。これほど高いものとは知らなくて(笑)。「いくらなんでも、初心者からいきなりライカはまずい。順を踏んでいこう」と反省して、選んだのがコンタックス。20年ほど前です。当時はコンタックスが幅広くいろんな機種を出していて、「レンズがいい」といわれていた。カメラの知識はないけど、ニコンやキヤノンなど、みんなが使っているカメラとは違うものを持ちたかった。ぼくは、形から入るところがあるので(笑)。
――撮ってみてどうでしたか。
最初は慣れなくて大変でした。被写体を前にカメラを構えても、シャッターを押すタイミングがわからない。8ミリからスタートしたので、頭の中が完全に映像仕様なんですね。人物ポートレートをカメラマンの友人に見せたら、「みんな横位置だね。ポートレートって、ふつうは縦位置だよ」と言われて、初めて気づいた(笑)。映画には縦位置という概念がありませんから。「縦位置のときは、カメラのどっちを上にするの?」なんて、間抜けなことを聞いて笑われたりね。光の考え方もまったく違う。映画は基本、照明をたくから、ぼくは写真を撮るとき、スタジオで光をつくるところから始める。「カメラのフィルムは暗くても写るんだよ。シャッタースピードはそのためにあるんだよ」と教えられて、ああそうなんだと初めて気づいたり。「慣れてきたら、そのうちライカに」と思っていたけれど、そんな調子だから、そのうちフィルムの時代が終わってしまいました(笑)。
――デジカメはライカですね。
ライカからデジタルが出ると聞いて、すぐデジルックス3を買いました。ライカは金属感のあるスクエアな、カメラらしい姿が気に入っているんです。近頃のデジカメは外観が曲線的で、好きじゃない。コンパクトカメラは、あまりに小さくて軽い。ガッシリした手ごたえと、ある程度の重さがないと落ち着かない。数年前から人に見せられるものを撮りたいと考えるようになり、「箱の中の女性ポートレート」をテーマに少しずつ撮りためているところです。
――なぜ箱なんですか。
最初はきゅうくつだから、モデルの人も不自然な表情をしているんですが、20~30分もたつと、ちょうどいい感じになるんですよ。リラックスした、いい表情になる。子供のころ、狭いところにこもっていたときの感覚がよみがえってくるのかもしれません。目標は100人。現在、70人は達成しました。ぼく自身は撮影技術も何もないけど、同じテーマでたくさん撮っているうちに、何かつかめそうな気がしているんです。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2010年7月増大号」に掲載されたものです