――これまでのカメラ歴をお聞かせください。
祖父(人間国宝・三世常磐津文字兵衛)がカメラ好きで、小さな子どものころからなじんでいました。最初に持ったのはトイカメラで裏紙がついているボルタ判フィルムを使用するやつ。小学生のとき、祖父の形見として父からオリンパスペンをもらい、ハーフ判なので撮りまくっていました。撮れたらなんでもよかったんです。それで小学4年生ぐらいで写真部に入り、現像もしていました。初めてライカを手にしたのは、小学5年生くらい。これも祖父の形見のIIIdを父から譲られて、遠足に持って行ったりしてね。今から考えると、ライカ持ってくる小学生なんてませてますよね(笑)。でもただ写るのがうれしくて、構図もなにも関係なくシャッター押してました。一時離れていたんですが、世界初AFのミノルタαシリーズが出て火がついた。それから祖父が遺してくれたオールドレンズとライカを組み合わせて撮るようになったんです。だけどうまく撮れないからAF一眼で撮ったり、でも懐かしさがあるからまたオールドレンズに戻ったりとかしてましたね。
最近はコンパクトなデジタルカメラでパチリとやるぐらいだったんです。せっかく形見のオールドレンズがあるのにもったいないなあ……と思っていたら、救世主現る! オリンパスペンE-P1ですよ(笑)。すぐ買おうとしたんですが、妻から「持ってるもの先に売ってね」と釘をさされたので、個人輸入したライカM3を売りました。今はE-P1にマウントアダプターを介して、オールドレンズを復活させて楽しんでいます。
――レンズやファインダーなど、おじいさんの形見がたくさんあるんですね。
あの世代の伝統芸能の人って、カメラ好きが多い気がします。ライカで写真を撮るのか粋だと考えていたのかもしれない。祖父はぼくが生まれる前に亡くなっているので直接は知らないのですが、こうして形見の品を見ていると祖父の考えが伝わってきて面白いんですよ。たとえばズマロン28ミリがなくて、代わりに日本光学の28ミリがあるんですが、「これはたぶんズマロン(F5.6)より、こっち(F3.5)のほうが明るいからだろうな」とか、知らない祖父と対話している気持ちになる。夜に自分の部屋に閉じこもって、形見のライカIIIfにオールドレンズをつけて空シャッター切っていると、いろんな思いがよぎる。「幽玄シャッター」ともいうのかな(笑)。いろんなアクセサリーをつけて、着せ替え人形みたいに楽しむこともあります。
――じゃあE-P1の登場は本当によかったですね。
そうなんですよ。持ち出すときは、たくさんのオールドレンズを前に「今日はどの子にしようかな」「最近この子はごぶさただったよな」とか、いろいろ考えられるのが楽しい(笑)。いちばん好きなレンズはエルマーの5センチF3.5。沈胴型でコンパクトになるし、子どものころから撮っているのでなじんでいるから。デジタルにオールドレンズを装着するとピント合わせなどで時間はかかるけど、別にそれはいいんじゃないかな。E-P1との相性も、ぼくはそんなに悪くないと思う。古いレンズで撮るときはセピア色の設定にして、絞りを開けるとぼんやりした味わいに撮れるのがいい。
――どんな写真を撮るのが好きなんですか。
モノを撮ることが多いんです。模様とか壁とか、パースペクティブがないものばかり撮っていますね。たぶん自分としては絵を描いているつもりなのかもしれない。ぼくは音楽の才能はたぶんあると思いますが、絵が全くダメで、真剣に描いても学校の先生からふざけていると怒られたぐらい。だからカメラを持つと自分の中にある絵画的なものに対する欲求が出てきて、壁を撮っても絵を描いたつもりになる。写真を撮るのは作曲に似てるんですよ。作曲とは可能性の追求で、写真も構図とか少し変えただけで全然違うものになったりする。見方を変えるだけで、世界がこんなに広がるものかと刺激を受けています。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2010年4月増大号」に掲載されたものです