元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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この春、約3年ぶりの海外旅行を計画している。
前回の旅は冬のフィンランド。出国時は世界は普通だったのに、成田への帰国便では大勢がマスクをしていて驚いた。でもそれはほんの序の口だったんだよね。まさか以後3年も海外に行けないとは考えてもみなかった。
実は、50歳で会社を辞めた理由の一つが「長期の海外旅がしてみたい」だったので、辞めた矢先にこれかい……と我が不運に驚いたよ。でも誰が悪いわけでもなく時節を待つしかないと心をしずめ、ようやくその時がやってきたのだ。行き先はずっと憧れていたアメリカのポートランド!
で、懐かしいエアビーで民泊の予約をしたところまでは良かったのです。でも燃料費高騰でやたら高くなった航空券を予約し、アメリカの入国情報など調べるうちに、だんだん気持ちが沈んできた。
これまで旅したのはフランス、台湾、フィンランド。アパートに一人で長期滞在し、小さな個人店で買い物をして自炊しながら近所のカフェで原稿を書く──つまりは東京でいつもやっているのと同じように暮らす。その暮らしを通じて現地の人と「知り合い」になるのが私の旅の目標なのだ。笑顔と態度だけを武器に相手の懐へ飛び込んで、果たしてちゃんと信頼を得ることができるのかという自分なりの大冒険なのである。
無論、うまくいくこともあればうまくいかないこともある。でもそんなチャレンジができることが幸せだった。見知らぬ街へ乗り込んでいく時は不安しかないが、人と人とは分かりあうことができるに違いないという希望をこれほど強く握りしめる瞬間もなかった。
でも今、その希望は3年前とは違ったものになっている。世界を分断したのはウイルスだけではなかった。今や戦争をめぐって世界は敵味方に分かれ、国境を越えるとたちまち自分はどちらの側かを問われる。そんな中で信頼を勝ち得るなんてことができるのか。いやそもそも巨大な不信を前に、そんな小さな信頼に何の意味があるのだろうか。
◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2023年3月13日号