『傷だらけの栄光』ニール・ヤング、クレイジー・ホース
『傷だらけの栄光』ニール・ヤング、クレイジー・ホース

 約10年にわたり、周囲からは「迷走」とも受け取られかねない動きをつづけてきたニール・ヤングは、『ディス・ノーツ・フォー・ユー』や『フリーダム』でたしかな手応えをつかんだ。《ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド》という名曲も手にした。メディアやファンだけではなく、若いアーティストからの評価もあらためて高まりをみせ、89夏にはソニック・ユース、ソウル・アサイラムらが参加したトリビュート・アルバム『ザ・ブリッジ』がリリースされている。

 しかし、この時期の活動にクレイジー・ホースは関わっていない。87年の『ライフ』以来、ニールは、ポンチョだけはさまざまな形で起用していたものの、彼らとのあいだには距離を置いていたのだ。《ロッキン~》も、別のユニットと録音したものだった。一方、クレイジー・ホースは89年に、ポンチョではないギタリスト/シンガーとともに『レフト・オブ・デッド』という、けっこう力の入ったアルバムを発表している。

 もしかすると修復不可能な状態にあったのかもしれないが、90年4月、ニールはウッドサイドのパーソナル・スタジオに彼らを呼んだ。今こそあらためてクレイジー・ホースと向きあい、4人でしかつくることのできない音を新しい時代に向けて送り出すべきだと考えたに違いない。こちらも久しぶりということになるのだが、デイヴィッド・ブリッグスと共同プロデュースしたそのセッションの成果が、同年秋発表の『ラグド・グローリー』。あえて訳すなら、「ぼろぼろの栄光」といったところか。なんとも象徴的なタイトルである。

 この時期ニールは、愛用のレスポール+フェンダー・ツイード・デラックスのポテンシャルを最大限に引き出す新システムを手にしていたらしい。その強烈な音にも支えられ、衝き動かされて彼は、『ZUMA』や『ラスト・ネヴァー・スリープス』の流れを汲む、圧倒的な存在感の作品をつくり上げている。「カントリー・ホーム」、「ラヴ・トゥ・バーン」、「ラヴ・アンド・オンリー・ラヴ」など長尺の曲も多く、そのほとんどが、90年代以降のライヴの定番となっていく。やや大げさかもしれないが、ニール・ヤング&クレイジー・ホースの新たな旅立ちを記した作品といってもいいだろう。[次回10/21(月)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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