1964年8月22日、オリンピック最高警備本部の責任者である警務部長の自宅で爆破事件が起きた。2日前、警視総監宛てに届いた脅迫状の内容は〈小生 東京オリンピックのカイサイをボウガイします 近日中にそれが可能なことをショウメイします ヨウキュウは後日追って連絡します 草加次郎〉。
奥田英朗『オリンピックの身代金』は、オリンピックの開催を間近に控え、東京中で突貫工事が行われていた64年の夏を舞台に、ひとりのノンポリ学生がテロリストに変わっていく過程を描いた長編小説だ。
犯人を追う刑事、テレビ局に勤務する警務部長の息子など、物語は複数の視点から語られるが、最大の特徴は爆弾テロを企てる学生・島崎国男がある種の共感をもって描かれることだろう。国男は東大の大学院でマル経を専攻する24歳の青年。秋田の貧しい農村の出身で、東京に出稼ぎに来ていた15歳上の兄は首都高速の建設現場で異常な長時間労働の末、不審な死をとげた。〈肉体労働を経験しなければ、自分は堕落してしまう〉。突然そう思い立った国男は自らも建設現場に身を置くが……。
〈ここ一年、国民全員が日本人であることを強く意識していた。町内会では、町をきれいに見せるために洗濯物を軒下に干さないよう話し合われ、傷痍(しょうい)軍人の物乞(ものご)いたちも、外人に恥ずかしいからと自発的に擦り切れた軍服を脱ぎ捨てた〉
華やかなイベントの陰には、そうだよね、こういうことが必ずあるんだよね。〈おめみたいなエリートに、おらの気持ちはわからん。おらには、繁栄なんか関係ね。オリンピックも関係ね〉とは、やはり東京に出稼ぎに来た、国男と同郷の男が吐く台詞。今ならさしずめ「おもてなしなんか関係ね」ですかね。
単行本が出版されたのは08年。格差社会という言葉が盛んに使われはじめた頃だった。60年代の作品かと錯覚しそうな臨場感。猪瀬都知事に読ませたい。読んでも「国家に反逆する犯罪者」としか思わないか。
※週刊朝日 2013年10月11日号