――カメラとの出合いは?
3、4歳のころですね。当時のアルバムを見るとぼく、カメラを持って写っていますから。父(岡田眞澄)がカメラ好きで、家じゅうにごろごろあったんです。それで大人のまねをして、毎日カシャカシャといじってました。おもちゃですね。フィルムの入っていないペンタックスESが、カメラの原体験です。実際に撮りはじめたのは、5歳のとき。父に与えられたコニカC35です。家にあるカメラをぼくと弟がいじって片っ端から壊してしまうので、「これ以上、やられたらたまらない」と思ったんでしょう(笑)。幼いながらに自分のカメラを持って、ぼくの意識は変わった。小学校で運動会のようなイベントがあると撮りたくてたまらなくなる。「いまの時間を止めて、残しておきたい」という感情が芽生えたんですね。撮った写真を友達にあげると、「すごいね」「これ、岡田が撮ったの」と喜んでくれました。ただ、C35はレンジファインダーでしょう。一応、黄色い部分をあわせればいいと理解はしていたけど撮れているかどうかプリントするまでわからない。ちょっとしたギャンブルでしたね。
――お父さんから撮影の手ほどきは受けましたか?
特別な指導はなかったです。「太陽のほうを向けたらだめだよ」と教えてもらったくらい。父がカメラをくれた真意は、自分のモノは大事にしろという教えでしょう。見事にその術中にはまって、父のカメラと自分のカメラは違うとはっきり区別するようになったのもこのときからです。当時、父が持っていたヤシカエレクトロ35GXは、「使っていいですか?」と許可をもらわないと触れない、特別なカメラでした。大きくてズッシリ重みがあって、子どもの手にあまる。だけど画質がとにかくきれい。これはすごいカメラなんだと緊張したのを覚えています。ぼくがコンタックス好きなのは、このときの体験がベースにあると思います。ヤシカがコンタックスの源流という物語をあとから知って、ますますはまっていきました。
――コンタックスSTはいつ入手しましたか?
2006年です。父が亡くなったのですが、別々に暮らしていたので手元に何もない。それで父の遺品を自分で買おうと思いついて、新橋の中古カメラ店で買いました。ヤシカの進化形がコンタックスでしょう。でも日々持ち歩くのは大変ですから、自宅に置いて磨いてます。カメラやレンズを磨くのが大好きなんです。毎日持ち歩くカメラは、コンタックスのT3とTIX。最近は、T3にデザインが似ているIXY DIGITAL10をぶらさげています。一応、ぼくのなかで使い分けのポイントがあるんです。T3は、路面の水たまりに反射する光や朝もやの風景など、きれいだなと思ったとき。デジタルだと、その場で画面が確認できるのでイメージ通りになるまでやめられないから、あきらめがつくフィルムがいいんです。デジタルは「残しておこう」と思ったとき。思いがけず事故やアクシデントに遭遇したり、食事や猫のおもしろいポーズなど気に入ったもがあればすぐにシャッターを押す。1日に20枚は撮ります。
ぼくは上手に撮りたいという気持ちがあまりないんです。小さいときから写真は作品というより、消えてなくなってしまうものを残す行為という気がしていました。カメラの好みもそう。ファンの多いライカなどにはなかなか関心が向かない。コニカは210Zから始めて、最後の510Zまで使いましたし、コンタックスもG1、G2を買ったのは京セラが撤退する直前でした。まあライカに関しては、はまりすぎて人生を踏み外した人を身近に何人も見ているので、防衛本能がはたらいているのかもしれません(笑)。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2008年4月増大号」に掲載されたものです