80年代初頭からアジア、アフリカなど世界中を旅してきた。バックパッカーでその名を知らない者はない、というバックパッカーの教祖だ。旅にとりつかれたいきさつから、自ら設立した出版社・旅行人での格闘の日々まで、初めて語る自身の半生記である。
「これを書くのは乗り気じゃなかったんです。僕の半生記なんか読む人いるのかって。でも、面白い読み物にして、みんなが楽しんでくれればいいと思って」
旅の出発点は26歳のとき、気分転換のつもりで訪れたインド。あまりの不条理に、帰国してから頭の中はインドのことばかり。日常に現実感がなくなり、仕事が手につかなくなった。
「世界はちがうリアリティを持っている。それを見に行って自分のリアリティとして獲得しないと、やっていけないと思った」
仕事を辞め、一年旅行に出て、帰国して一年働きまた旅行、という生活に突入。知らない場所に行ってさまざまなことを知る、帰ると本を書くためさらに調べる。
「旅行は僕の学習の過程なんです」
ちゃんと仕事しろ、とよく説教もされた。
「親も心配しただろうけど、僕は親の言うことは聞かないからね」
子供の頃の蔵前さんは、親の言うことをきちんと聞く優等生。中学、高校、大学と、学校はすべて親が決め、そのとおり進んだ。鹿児島という土地柄からか、年配の人の言うことは絶対。父親はとても怖い存在だった。
「でも言うこと聞いたのは大学まで。稼げるようになれば聞かないですよ。そうやって巣立つもんでしょ」
本書には、旅先の地図を描きまくる地図オタクや4コマ漫画家など、ひと癖もふた癖もある旅行者が登場する。長期の旅をあきらめてまで出版社を始めた理由が、彼らとの出会いだった。
「彼らの本は絶対面白いんだけど、他社はまず出さない。じゃ自分が出そうと」
旅行人からは多くの旅行作家が旅立っていったが、911テロや感染症の世界的流行以降、旅行書の売り上げはガタ落ち。会社を縮小し、2年前、やむなく雑誌「旅行人」を休刊した。
今したいことは「もちろん旅行」。行き先は旧ユーゴスラビア。なぜ旧ユーゴ?
「そりゃ行ったことないからですよ」
蔵前さんの目がキラーンと光った。
くらまえ・じんいち=1956年、鹿児島県生まれ。慶応大学法学部卒。作家、グラフィックデザイナー。アジア、アフリカを中心に世界各地を旅行。95年に出版社・旅行人を設立。主な著書に『ゴーゴー・インド』ほか多数。
※週刊朝日 2013年8月16・23日号