『男たちの旅路』『岸辺のアルバム』『早春スケッチブック』『ふぞろいの林檎たち』……脚本家、山田太一の名を聞くだけで、次々と名作ドラマのタイトルが浮かんでくる。しかも、どの作品も一度しか観ていないのに、いくつものシーンが鮮明に蘇ってきて奇妙な気分になる。
 いったい、どうしてこうも山田ドラマは自分の記憶に深く刻まれてしまったのか?
 山田太一を特集したこのムックには、「テレビから聴こえたアフォリズム」という副題がついている。アフォリズムとは物事の真理を鋭くつく言葉だが、それは、語るにふさわしい人物が語るにふさわしい場面に発して初めて、聴く者の胸に刺さる。山田ドラマの成功は、だから、制作に関わったスタッフとキャストがいかに脚本の意図を深く理解していたかの証しでもある。
 そのあたりの事情は、『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』などをプロデュースした大山勝美、演出した鴨下信一へのインタビュー記事を読めば、よくわかる。また、山努ら俳優たちがいかに山田の脚本に応じようと苦心したかも、エッセイを通じて見えてくる。
 彼らの回想も含め、そもそも山田自身がどのような考えをもって社会と、時代と向きあってきたか理解できるよう、この本は編まれている。そして、かつて本人が書いた文章、多くの対談、文庫解説、学者による論考といった盛りだくさんのアプローチから浮上するのは、山田の諦観だ。
〈私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか?〉
 右とか左とか、上とか下とか、どちらかへ人々がどっと傾いてしまいそうなとき、山田は単純な断言を避け、可能性に過度に期待する危険性をささやく。そのささやきは、聴いた者に、自分のまっとうな定位置を思い起こさせる。私の中に山田ドラマが刻みこまれた理由も、おそらく、そこにあるのだろう。

週刊朝日 2013年8月2日号

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