前にもこういうことをやってたよなあ。新たに歌集を編むという……『昭和万葉集』だっけ。戦場に行く若者の歌が入ってるのは『きけわだつみのこえ』か。と、いうように歌とはほど遠い生活をしている上に、たまにテレビで歌会始など見てもまるっきり良さがわからない不風流な者です。が、この『新・百人一首』は面白かった。全部読んだって百ですむ。わかりやすいものも多いし、選者に穂村弘が入るなど、若者への目配りも忘れない。
あらためて現代の和歌というものを読んでいると、和歌がすたれない理由がなんとなくわかる。ここでも一首選ばれている尾崎左永子(さえこ)が、昔どこかのインタビューで「短歌にはカタルシス的なところがある」というようなことを言っていて、その時はさっぱり意味がわからなかったが、今こうして選ばれた百首を見ているとわかる。限られた文字数に、感情(なんていうものよりも怨念とか性欲とか、マイナス方面に激しいもの)が圧縮されて最後に飛び散っている。それも決して美しい散り方じゃなくて「うわー、あとの掃除たいへんだ」と思ってしまうような。
あえてそういう歌を選んだのか。いや、たぶん短歌というのはこういうものなのだ。この「びちゃっ」とした、うわっ、手についちゃったよエンガチョ、みたいな生々しさがあれば、年寄りでも子供でも、この生々しさを表現してみよう、と思う人は必ずいる。
さて私が個人的にこれでいちばん感じ入ったのが、春日井建の短歌が採られていたことだ。いや、三島由紀夫もいっときメロメロになった春日井建が入るのは当然として、春日井建には他の歌人同様ちゃんと顔写真が載っている。私は春日井建て、舞城王太郎みたいな覆面歌人で顔出しNGだと思い込んでいたのだった。そして、すごい美少年を想像していた。だが、まさかこういう顔のおじさんだったとは……。時が経っているので当然のことであり、勝手に思い込んでた私が悪いのです。
週刊朝日 2013年7月19日号