大人のたしなみとして歌舞伎を見ておいたほうがいいのか、と考えることがある。そこでまずはテレビの舞台中継など見て、ただちに挫折した。じゃあ、と新橋演舞場なんかに行くが、気づくと寝ていた。よく「あの華麗な空間で眠る、それこそが歌舞伎の楽しみのひとつ」と聞かされるが、高い切符代を払ってそれを目的にすることはない。じゃあ原作からと浄瑠璃本読んでみたり、歌舞伎役者の写真集見たりとか、いろいろやってみるもののどうにもダメ。
歌舞伎ブームって「歌舞伎が好き、ということを世間にアピールする」人が支えていて、内容が好きな人なんて本当はいないんじゃないか、と歌舞伎にハマれない人間はひがみの一つも言いたくなる。
中野翠が歌舞伎好きというからには「きれいな着物で南座へ顔見世を」なんてことはあろうわけはない。歌舞伎はドロドロしていて面白いものだ、と主張をしている。「グロテスク」という言葉がよく出てきて、今のこの世の中でもハッとさせる凄みみたいなものを、中野さんがこよなく愛しているのはよくわかる。中村歌右衛門の魅力にやられて、そこで出てくる描写が「奇妙なイキモノ」ですから。そしてとんでもない装束や化粧や所作を、奇妙だけれど粋で可愛くカッコイイものとして「愛でて」いる。ああ、いかにも中野翠らしい。
実のところ、これを読んでますます歌舞伎を敬遠する気持ちが強まった。「フツーの歌舞伎好きな方には顰蹙(ひんしゅく)買うかもしれないけど、こういうところが好きなんです」みたいに押し出されると、「人が見つけて通った抜け道は断じて通るまい」と思うような自意識過剰な人間にとっては「歌舞伎には近づかない、断じて」という気持ちをはっきり決めただけであった。しかし、そうした人ばかりではないので、こういう歌舞伎の愉しみ方があるのだ、と新たに歌舞伎を見てくれる人もいるであろう。……でも、やっぱり中野翠の筆致には「お前らにはわからん」という空気が少し、でも確実にあると思う。
週刊朝日 2013年5月31日号