女性タレントにとって、いかに好感度(ことに同性の)を保ち続けるかは重要な命題である。その点、長谷川理恵は「自然体」を上手に演出しているように見えた。(1)野菜ソムリエやマラソンランナーとしての顔を持つ一方、(2)石田純一、神田正輝ら名うてのプレイボーイと浮名を流す。私生活はどうなってんの?
昨年6月、「でき婚」のタイミングで出版された『願力』(マガジンハウス)はそんな読者の、特に(2)のニーズに応える本だった。が、元カレと夫を比較する、婚約指輪のダイヤが小さいと不満はいう。評判は散々で(アマゾンでは100件超のレビューがついたが、うち4分の3は★1である)、自省のつもりの告白が裏目に出た恰好だった。
『女性としての私』はそんなマイナスイメージを払拭(ふっしょく)すべく出版された本だろうと思われる(でなきゃ半年で自伝が2冊も出まい)。書かれているのは(1)を中心とした少女期から出産までの半生。ただこれが前著に輪をかけておもしろくない。人の幸福自慢など誰も喜びゃしないのだ、という想像力が働かないのかもしれない。なぜこうなのか。
要因としてひとつ考えられるのは彼女の読書傾向だ。〈読むのは、年間300冊ほどだろうか〉と豪語する彼女だが、そのほとんどは自己啓発書。〈啓発本はよりよい人生を生きるための、輝かせるためのヒントに満ちている〉そうで、金字塔は〈中村天風さん。そして稲盛和夫さん、松下幸之助さんたちだ〉。そっか、成功者の経営哲学みたいなのが好きなんだ。そういえば昔、石田純一も『脳内革命』を薦めてたっけな。という余談はさておき、愛読書を見ればその人の一端がわかる。〈本質はどこか男性的だと、私自身は思っている〉という一文にも啓発書で培(つちか)われた上昇志向の高さがうかがわれる。
老婆心ながら、彼女にアドバイスするとしたら「偏食はよくないよ」ってことだろう。啓発本はサプリみたいなもん。身体と同じで血や肉になる本もやはり少しは読まないと。
週刊朝日 2013年3月8日号