先月、81歳で逝去した直木賞作家のエッセイ集。昔なつかしい喫茶店や場末を好む著者が、およそ10年にわたる、老いとつきあう、のどかだが忘れ難い日々を描いた。
荒川沿いの団地に住んでいたころ、通う喫茶店があり、扉の下から桜の花びらがまぎれこんでいた。先のラブホテルの前の桜を風が散らしていたのだ。当時、都心に借りていた仕事場の前にも桜並木があり、着物姿で見あげていた老女の営む喫茶店に出入りした。その彼女は看取る人もなく亡くなる。いつのまにか仕事場のベランダには咲きほこった桜の枝が伸びてきており、その濃厚な匂いを嗅ぎつつ、著者は桜の美しさを体で覚えたように感じる。
居酒屋で打ち解けた男性は、アラブの馬を2、3頭持っていたが、得た金は酒と女に消えたという。金はうなるほどあるという噂だったが、ふとした拍子に6回の結婚と離婚を聞かされた……。
肩肘張らないなかの幸せ。「つつましい喫茶店がある街はいい街だ。街の暖かさ、街の誇りだと私は思ってきた」の一文に、温もりが生きている。
週刊朝日 2013年2月22日号
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