本谷有希子(もとやゆきこ)/ 1979年生まれ。石川県出身。2000年「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。主宰として作・演出を手がける。07年「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。09年「幸せ最高ありがとうマジで!」で岸田國士戯曲賞。11年には『ぬるい毒』で野間文芸新人賞、14年に『自分を好きになる方法』で三島由紀夫賞、16年に「異類婚姻譚」で芥川賞を受賞し、純文学新人賞3冠作家に。(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)
本谷有希子(もとやゆきこ)/ 1979年生まれ。石川県出身。2000年「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。主宰として作・演出を手がける。07年「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。09年「幸せ最高ありがとうマジで!」で岸田國士戯曲賞。11年には『ぬるい毒』で野間文芸新人賞、14年に『自分を好きになる方法』で三島由紀夫賞、16年に「異類婚姻譚」で芥川賞を受賞し、純文学新人賞3冠作家に。(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)
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 4年ほど前までの自分の状況を、「正式な戯作からしばらく離れていた」と表現した劇作家で小説家の本谷有希子さん。本谷さんの創作活動の起点は演劇にあったが、2012年ごろから軸足を小説に置くようになった。それがここ数年は、定期的に、自身の小説を原作にした芝居の演出を行っていた。そんなある日、KAAT神奈川芸術劇場のプロデューサーから、「岡田(利規・海外の演劇フェスティバルなどで高い評価を受けている演劇作家で小説家)さんの戯曲を演出していただけませんか?」という依頼があった。青天の霹靂(へきれき)だった。

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「それまでは、ずっと自分の書いたものを舞台に立ち上げるという流れでやってきたので、正直なところ、“演出家”という自覚が希薄だったんです。自分の頭の中を具現化していくことは当然の作業だと思っていたので」

「他の人の戯曲の演出なんてしたことないのに?」という戸惑いとともに、自分が知っている岡田さんの舞台に想いを馳せると、身体性と言語の関係を確立させている作風は、自分とは似ても似つかないとも思った。最初は、断ろうかとも考えた。でも、断らなかった。

「最近、戯曲を書き下ろしてない理由とも重なるんですが、ちょうど自分の興味の湧く戯曲の書き方がわからなくなっている時期だったんです。今までどおりの形なら書けるけれど、自分の演劇に対する意識も変わりつつあって、その作劇法が今はもうそれほど面白いと思えない。だから今は自分の小説を『これを芝居にしたら面白いかも』と執筆後に思いついて、結果的に芝居にする方法をとっているんですね。そんなふうに、戯曲を書きあぐねている最中だったこともあって、人の戯曲──特に自分がやってきたものとはとても遠いところにある岡田さんの戯曲を知ることは、何か刺激になるような気がした。もう一つは、シンプルに、やったことないからやってみようかって好奇心でした」

 頭の中には2人の自分がいた。片方の自分は、「絶対断ったほうがいい。受けちゃ駄目だろう」と主張し、もう片方の自分は、「いいよ。やっちゃえ。やったらわかる」と割とあっけらかんと構えていた。

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