【2015→2016】ケンドリック・ラマー『To Pimp A Butterfly』と映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』から見えてくる、米国社会の構造
【2015→2016】ケンドリック・ラマー『To Pimp A Butterfly』と映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』から見えてくる、米国社会の構造

 あらゆるメディアで絶賛されてきたケンドリック・ラマーのアルバム『To Pimp A Butterfly』は、カリフォルニア州コンプトンという米国でも屈指の犯罪発生率の高さを記録する街で生きてきた青年が、音楽を通じて巨大な富と栄誉を掴んだ経験から産み落とされた作品だ。2012年に、狂った街の善良な少年=『good kid,m.A.A.d city』の物語はビルボード・チャート2位という成功を収め、メジャー2作目となる今回のアルバム『To Pimp A Butterfly』では、米ビルボードのみならず多くの国のチャートで1位に輝いた。

 「アフリカン・アメリカン史とブラック・ミュージック史、そしてケンドリックの成功譚が交錯し、その中をジェットコースターのように駆け抜ける『To Pimp A Butterfly』」。リリース時のアルバム・レヴューで、僕はそう書いた。なぜ、ケンドリックはジャズやソウル、ファンクにヒップ・ホップといったブラック・ミュージックの歴史を一枚に詰め込み、多くのアーティストを証言台に立たせるように招いたのか。それは、彼が自身の成功を、アメリカ社会の中で何度も繰り返されてきた事柄と重ねて見ていたからだ。

 例えば、今夏米本国で公開され、日本でもこの12月から公開されている映画『Straight Outta Compton(ストレイト・アウタ・コンプトン)』。1980年代にコンプトンで結成され、1990年代に隆盛を極める西海岸ギャングスタ・ラップの礎を築いた、N.W.A.の歩みを追うドラマ映画だ。映画のタイトルには、彼らのデビュー・アルバムの「コンプトン刑務所を出所したらまっすぐにお前のところに行くぞ」という、スリリングで命懸けの決意がそのまま用いられている。

 N.W.A.とそれを取り巻く人々の史実から、端折られてしまっている部分も少々見られるものの、『Straight Outta Compton』はひとつの青春ドラマとして素晴らしい作品だ。ドラッグ売買を巡るトラブル、銃社会の緊迫感、地元警察による抑圧的な態度、という当時からの貧困層のタフな日常が描かれ、ミュージシャンとしての成功には利益分配と暴力を巡る問題がつきまとう。

 映画の中のロサンゼルス暴動は、2014年に黒人青年が警官の手で射殺されたファーガソン事件ともダブって見えるが、これらの事柄は相互に深く絡み合っており、一見横暴に見える警察官の態度にしても、銃社会の中の我が身、と考えれば強行的な姿勢で取り組まざるを得ない。「Fuck The Police」というN.W.A.の怒りに満ちた名曲は、社会全体の負の連鎖を示しているのだ。単に人種間での諍いには収まらず、暴動や利権を巡るトラブルとなれば、同胞同士が傷つけあうこともある。ケンドリックが新作収録の「Blacker the Berry」で語っているのは、そういうことだ。

 『To Pimp A Butterfly』のラストには、インタヴュー・テープを用いてケンドリックと2パックが語らうシーンが作り上げられている。ケンドリックは最後に、アルバム・タイトルに用いられたフレーズについて問うのだが、2パックからの回答は返ってこない。映画の中で若手ラッパーとして登場した彼も、既にギャングの抗争に巻き込まれ命を落としてしまった。美しい蝶となって人々に賞賛されるようになっても、地を這う青虫と命の重さは変わらない。スターの座に上り詰めた男と、ゲットーで生活する少年と、何が違うだろう。それは、アフリカ系奴隷が綿花を栽培していた頃も、ジャズやロックンロールの時代も、ボクシングやバスケットボールの巨大なスポーツビジネスにおいても、アメリカ社会の中で変わらず在り続けてきた疑問なのだ。(Text:小池宏和)