母が作戦を練り、椅子の真ん中に大きなゴミ箱を置いて「これでやっと勝てる」と喜ぶと、タマはゴミ箱の横の隙間にうまく入り込む。リハビリの前に腰かけるのをやめても、「さて休むか」という母の言葉を合図に、タマは椅子にちゃっかり乗ってしまう。
タマは赤いものが好きだったので、母がよく赤いひもで遊ばせていました。でもじゃれることに夢中になると、よく椅子から転げ落ちました。夢中になると他のことが見えなくなるので、獲物を追って空き家に入って出てこられなくなったこともあります。
「自分で入ったんだから、自分で出てくるよ」と母がいったのですが、何時間も出てこられず、結局、ご近所さんに連絡し、私がはしごをかけて救出、なんてこともありました。その時にチャッペーが心配そうに後をついてきたのですが、救助にまったく関与せず、裏口からのんきにスズメをくわえて出てきました、あっ、こりゃだめだって感じでしたね(笑)。
■私たち親子にも変化が
猫家族が我が家に来てから、私と母の関係に変化が起きました。
母は半身がマヒになっても口は達者でしたから、もめることもあったんです。険悪になった時、猫たちが緩衝材の役割を果たしてくれました。
たとえば、母の体力が落ちないように、夜にベッドから何度か立ち上がる運動をしてもらっていたんですが、母は疲れてくると「やだー」といい、私は「もっとやって」といい返し、「うるさい」「なによ」とにらみ合う。そんな時、タマやメメがベッドに昇ってこてんと横になると、そのしぐさに、ふたりとも釣り上げた目尻が下がり……というように、仲裁をしてくれたんです。これは私たち親子にとって大きな変化だし、救われました。
廊下に敷いたマットを猫が丸めてしまうと、母が「マットお直し隊だ」といって自分でマットを直していたので、猫がいることが直接リハビリの役にも立ったと思います。タマとチャッペーがけんかするのを眺めてるだけでも、楽しそうでしたよ。
母は脳梗塞の他にも、肝臓や胆のうが悪く、年1度は入院していました。生死をさまようこともあり、そのたびに私は心が折れそうになりましたが、家で猫たちと触れ合うことで心が落ち着いたものです。
【後編:「招き猫になってほしい」との思いで名付けたらほんとに多くの笑顔と幸せを招いてくれた母猫】に続く
(水野マルコ)
【猫と飼い主さん募集】
「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年の水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目線で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKです。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com