そして7月19日の会見で、羽生は「僕にとって、羽生結弦という存在は常に重荷です」と口にしている。

「羽生結弦という存在に恥じないように生きてきたつもりですし、これからも生きていく中で羽生結弦として生きていきたいなと思いますし」と話した羽生は、言葉を継いだ。

「ただその中で、先程の決意表明の中でも話させていただいたように、自分の心をないがしろにすることはしたくないなと」

「僕自身がこれからも生きていく中で、生活していく中で、心を大切にしてもいいんじゃないかなって」

 会見で、羽生はプロスケーターとなっても弛まず研鑽を積むことを誓っている。ただ、勝利への重圧がなくなった今、少しでも重荷を下ろすことができたと信じたい。2017年夏のトロントで見せていた鋭さはアスリートとしての羽生の優れた素質だが、同時に生身の人間が生涯持ち続けるのは厳しいと思わせるものでもあった。

 結弦という名前には、弓の弦を結ぶように凜とした生き方をしてほしいというご両親の願いがこもっているという。羽生は、十二分にその名を体現してきた。ただ、今後は少しだけその弦を緩めてもいいのではないかと、個人的には思う。適度な緩やかさを加えたところで、羽生の生き方の美しさは変わらないと考えるからだ。(文・沢田聡子)


●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」