東日本大震災をきっかけに何度も福島に足を運んでいるお笑い芸人のカンニング竹山さん。震災当時、自分の無力さを悔やみ、復興支援について悩み抜いて考えたのが「復興支援だ、ボランティアだと決めず、ただ福島に遊びに行く」ことだった。11年たったいまも地道に続けていて、先日も福島県相馬市と南相馬市を訪れ、ある変化を感じたという。
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福島に昨日までロケに行っていました。福島テレビの特番『カンニング竹山の福島のことなんて、誰もしらねぇじゃねえかよ!』(8/27・9/3土曜日18:30放送予定)というバラエティ番組で、相馬市と南相馬市をぶらり旅してきました。
10年以上福島に通っていて、今回初めて気が付いたのが、海水浴場が盛り上がっていること。もちろん、番組の中で僕も海で思いっきり遊んできました。
そもそも夏に福島の海水浴場に行っていなかったというのもあるんだけど、津波で犠牲者がたくさん出た海で「泳ぐのはいいのかな?」って、なんとなく勝手に気にしていた。
今回訪れた海水浴場では色々な年代の方が来ていて、みんな、楽しく遊んでいる光景を見たときに「これは、これでイイな」と思った。震災から11年たっているんで、遊んでいる子たちの中には震災を知らない子も多いんですよね……。
海水浴場には海の家もあって、そのオーナーは30代、40代の若い人たち。5~6軒ある海の家で働いている若者がまとまって、チームというか青年団というか協力し合っているんですよね。海の家のオーナーの若者は、震災当時は学生だったりするわけです。みんな当時はきつかったと思うんですよ。そんな若者たちが、地元で店出したりして、みんなでまとまって、頑張っている姿がありました。
震災によっていろいろな経験をして、感慨深いものもあるんだろうけど、身内や友達など大事な人たちが津波によって流された海を若者たちが海水浴場として復活させていく……そういうのが素敵だなというか、色々な思いがそこにはあるんだろうけど、人間っていいなと思った。