
そんな姿を見てうらやましいなと思ったのは、30代、40代で地元に残っている若い世代の人たちが同世代の仲間と協力し合い、手をつなぎながら何かをしていること。今回の海の家もそうだし、福島を訪ねて知り合いになったいわき市で農業をやっている人が、同年代が経営している飲食店と色々一緒に作ったりしている。それをネットを使って発信したり、いろいろチャレンジしているんだけど、そういうのが、ここ5~6年で福島に行くとよく見られる。
地元の若者たちが自分の住んでいる地域を盛り上げるためにやっているのって、すごくいいと思うんですよね。自分自身にも気づきがあったり、勉強にもなることもある。何より、そういうのって、なんかうらやましくも思う。そのような姿というのは、なんて言うのかな、人間のたくましさというか、震災復興の小さな一コマだと思うんですよね。人間一人一人がそうやって動いている。
「東日本大震災の復興とはなんぞや」と突きつけられると、東京電力福島第一原発のこともあって、なかなか復興できていない感じもしてしまう。一方で、道路がきれいに整備されたりだとか見た目では進んではいる。実際、福島に足を運んでみると、そこに住む人間一人一人が、海の家をやっているっていうことだったり、そういう細かいひとつひとつが積み重なってきている。そこにたどり着くまでは、ものすごい悲しみや苦しみがあったり、思い出したくない記憶を心の中に持っている人たちもいるのですが……。
もうひとつ気づきがというか、ある出会いがありました。福島県双葉郡双葉町の海沿いの『東日本大震災・原子力災害伝承館』があって、建設中から知っていて、完成したら行きたいと思っていて、今回の旅で行ってきました。東日本大震災や東京電力福島第一原発の事故を知らない人、全員に見てもらいたいいい施設です。
そこで働いている女性が僕に話しかけてきてきたんです。「竹山さん、ちょっといいですか……私が小学校6年生のときに、竹山さんが返してくれた言葉です」って、Twitterを見せてくれました。その女性は、当時、小学校6年生で、震災直後の辛い気持ちを僕にTwitterで送ってきてくれていた人だったんです。