安倍さんの死後、母親の洋子氏が後継者について語っていることが報道されている。私の書棚には1992年に洋子氏が書かれた『わたしの安倍晋太郎』という本がある。夫の名前がタイトルにはなっているが、割かれているのはほぼ父、岸信介氏のことであり、岸家、佐藤家、安倍家という長州派閥のファミリーストーリーである。安倍さんが総理になったときに古本屋で買ったものだが、一読した率直な感想は、「洋子さん、毒母?」であった。戦犯の父を持つ娘として戦前と戦後を体験し、総理大臣を目指す夫に“仕え”、その夫が道半ばで急死した無念さがつづられている本から伝わってくるのは、総理の娘が総理の妻になれなかった悔しさであった。男尊女卑の激しいこの国で女は総理大臣にはなれない。なれるのは総理の娘、総理の妻、総理の母である。安倍さんの幼いころの夢は「プロ野球選手」だったというが、はなから「総理大臣になる」道以外は閉ざされた人生だったということが、洋子氏の手記からは伝わってくるのだった。

 安倍さんは国会で不誠実な答弁をくり返す横暴な政治家であったが、どこか“お坊ちゃま感”が抜けない人だった。また、一昔前の愛人がいて当たり前、みたいな黒い政治家のイメージはなく、むしろ性的なものに奥手で、セックススキャンダルからは程遠い人という感じでもあった。私の勝手なイメージだが、強い母親に組み敷かれた人の弱さを感じずにはいられなかった。“奔放で自由な妻”を選んだのは、もしかしたら安倍さんの母親への人生最大の反抗だったのではないかと思うほど、安倍さんの“女性観”がよくわからなかった。  

 安倍さんの人生に母親の影響がどれだけあったかは、わからない。それでも、祖父が日本での普及に力を添えた旧統一教会の被害者に殺された事実は、この国をリアルに生きる人々の声よりも、“ご先祖様”を仰ぎ見るようなファミリービジネスとしての政治に邁進した結果でもある。そういう意味で、安倍さんは、山上容疑者と同じように、“家族の被害者”であったのかもしれないと思う。

 公衆の面前でマイクを握ったまま背後から撃たれた安倍さんは、最後、山上容疑者のほうを振り返っている。1発目の煙がまだ立ちこめる数秒の時間のなか、最後に見たものは山上容疑者の姿だっただろうか。財産を奪われ、未来を奪われ、家族を壊された40代の男と、使い切れないほどの財産を先祖から引き継ぎ、未来が約束されてきた60代の男はあの瞬間、個として対峙した。それは2人の人生が同時に終わる瞬間だった。個としての安倍さんを考える時、その人生の歪(いびつ)さと不幸を哀れに思わずにはいられない。だからこそ安倍さんの死を悼むというのならば、やはりその不幸の根源を洗い出し、膿を出し切るべきなのだろう。安倍さんの政治家としての人生と、この国の民主主義の歪(ゆが)みを徹底的に洗い出すべきだ。国葬をしている場合じゃない。

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