別に誰しも戦争をやりたいわけではない。ただ、現実はそれとは違う。防衛しなければいけない、国防を強くしていかなければならない。でも、何回も言うけど我々も戦争したいわけではない。憲法9条改正反対の人も賛成の人も戦争したいわけじゃない。戦後から70年以上もたってしまって、戦争は絶対ダメと国を守っていくことがリンクしなくなってきているかな。
戦争をしないようにどうにかしなければいけないのだけれども、何かされても、じゃぁ、黙っておきます? 「もう、世界に対して何も言わないです。日本は日本でやっていきますから」と言ったときに周辺諸国は日本に何もしてこないのかな? アメリカに「お金払うから基地から出てってください、うちは守らなくてもいいです。自衛隊も捨てます」って言ったら、周辺の国々がオラオラって攻めてきたらどうするんだ? その辺ってものすごく難しい。
国防に対して我々はどう考えていったらいいのかな。国防をするから戦争になると考える人もいれば、戦争をしないための国防だという人もいる。そのバランスを日本人は保ちつつこの先何十年もいけるのだろうか。
また、引っかかっているのが、戦後、我々のテクノロジーも文化も進んでいると思っているんだけど、文化が進もうが進むまいが、人間の根本は縄文時代から変わっていないのではないか? 仮にそうだとすると人間は戦に突き進んでしまう部分もあるのでは。
もし、近隣諸国が日本の尖閣諸島や与那国島や石垣島という周辺を攻めてきたときに「このヤロー!」という気持ちにはなりませんか? そのときに、「中国に対して戦争はダメですよ、話し合いましょう」って言えますか? いまも日本の海に近くの国の船がウロウロしていると言われているけど、ウロウロならいいけど上陸してきたら、戦争しないって、どんな状況でも戦争しないってことでしょ? それを守り切れるのかなと思います。己に自信がない感じ。
僕は福岡出身なので長崎県で被爆した語り部の方の体験談を聞く機会も多かったです。子どもの頃に見ていた終戦記念日の特集番組や学校での平和教育の授業の時よりも、いま違った状況が見えてきている。そんな子どものころからわずか40年とかの間に、「戦争をしない」が簡単なことではなってきたなと思うんですよね。改めて、平和教育が時とともに形や意味が変わってくるなと思った。8月はそんなことを考えていましたね。
■カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。オンラインサロン「竹山報道局」は、昨年4月1日から手作り配信局「TAKEFLIX」にリニューアル。ネットでCAMPFIRE を検索→CAMPFIREページ内でカンニング竹山を検索→カンニング竹山オンラインサロン限定番組竹山報道局から会員登録