庄村さんは、2019年に局所性ジストニアによるバンド活動休止を発表した(撮影/加藤夏子)
庄村さんは、2019年に局所性ジストニアによるバンド活動休止を発表した(撮影/加藤夏子)

「リハビリしてバンドに戻ることを目指すか、ミュージシャンを辞めるか。選択肢は二つしかなかったですね。そもそも[Alexandros]に加入したときから『これが最後のバンド』と決めていたんです。実際、10代の頃に思い描いていた夢はすべて[Alexandros]で叶えたし、この先、あの人たち以外とバンドをやることはまったく考えられなかったので。それくらい素敵なボーイズたちなんですよ(笑)」

 さらに庄村は、「これは自分の矜持というか、意固地な考え方でもあるんですが、自分の場合はドラムにこだわることで、音楽を続けることが苦痛になり、音楽自体を嫌いになってしまいそうだったことが一番怖かったんです。“ドラムを叩ける自分”よりも“音楽を好きな自分”のほうを優先させて頂きたかったんです」と言葉を重ねる。

■病を“変化”として受け入れる

 バンドを“勇退”する際に発表された公式コメントのなかで庄村は、「この症状も自分の一部として受け入れた上で生きていきたいと思う様になりました」と記している。人生をかけて取り組んできたドラマーとしてのキャリアを絶たれた後、“ドラムを叩けない自分”を受け入れる。言うまでもなく簡単なことではなかったはずだが、庄村は明るい表情で、「そうする以外、方法がなかったんですよ」と語る。

「もちろん治療やリハビリもやったんですけど、超単純なフレーズを1分続けることもできなくなって『これはどう考えても無理でしょ』って笑うしかなくて。いろいろと時間をかけて考えましたけど、ドラムを叩けない、不完全な自分を受け入れるしかないと思ったんですよね。『背負って生きていく』とか『病気と向き合う』という言葉も違和感があって。そんなドラマティックな話ではなく、(加齢に伴う)経年変化みたいなものとして捉えるというか。ドラム、音楽を諦めるためには、そこまで自分を持っていく必要があったんだと思います」

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