独自の調査活動と徹底した国会質問で「政官業の癒着」「オウム真理教や旧統一教会問題」などに切り込み、“追及王”“爆弾男”の異名を取った「先生」、元衆院議員の石井紘基氏。東京都内の自宅玄関前で刺殺されてから20年になる今年、安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、旧統一教会の問題が大きく取り沙汰されるようになった。節目の年にふと思う。石井氏が生きていたら、どんな追及をしたのだろうか。
2002年10月25日。「午前10時30分に石井議員が自宅前で右翼団体の代表に襲われ、亡くなった」との一報を聞いた時、筆者の頭の中は真っ白になった。
石井氏とは取材を通じてつき合いも長く、いろいろな情報について取材のポイントまでレクチャーをしてくれるなど、指導してもらった。
石井氏は当時、民主党所属で3期目だった。党内の有志を募り、「国会Gメン」を結成し、日本の利権構造など「政治とカネ」の問題に鋭く切り込んだ。国会での追及は、官僚主導の政治のあり方や国家財政にも及んだ。
一般会計の裏に300兆円もの「特別会計」が存在して浪費されているとして、
「この問題は人生をかけてやる。このままでは日本はダメになる」
と筆者にも語っていた。
そして、石井氏がもう一つ、力を入れていたのが、旧統一教会(現、世界平和統一家庭連合)やオウム真理教の問題だった。
石井氏と生前から親しく、全国霊感商法対策弁護士連絡会で家庭連合の被害者救済に取り組む紀藤正樹弁護士は、
「石井さんが今も生きていれば、現在のような旧統一教会の問題は起こらなかったかもしれない。本当に残念だ」
と話す。
石井氏は、1996年4月22日、国会で統一教会について質問していた。
「統一教会による霊感商法というのは、大変被害件数も多くて、社会的な大きな問題になっております」
と切り出し、霊感商法の具体的な例を詳細に示して、
「『マンションに誘い込み、先生と称する信者において家系図をもとにBさんを畏怖(いふ)せしめ、よってさらにBさんに出捐(しゅつえん)を迫ったものである』。膨大にこういう事件があるわけであります」
と指摘した。