19年にフラワーデモを呼びかけてから、多くの性被害者の声を聞いてきた。そのなかで実父や親族から、家庭のなかで性被害を受ける子どもたちが少なくない現実を突きつけられている。今回の実父は、娘が保育園に通っているころから、膝の上に乗せてAVを見せるなどしていたという。その後、娘が成長するにつれ行為はエスカレートしていくのだが、父親からの性加害で、始まりが「AVを見せられた」という女性は少なくない。また体への虐待は受けなくても、父親がAVを日常的に見ていたり、見せられたり、目に入る環境で過ごしてきたという女性は相当数いる。私が聞いたケースでは、父親がリビングでAVを見るのが日常的で、それを母親も「しょうがないわね、男ってばかよね」くらいの軽さで受け取っており、娘が嫌がるのを両親が “面白がっている”ような加害もあった。
AVが普及したのは1980年代中ごろからなので、今40代の女性たちは、父親からAVを見せられる被害を受けたことがある最初の世代だろう。自宅のリビングでお気に入りのAVの性交シーンをつなぎあわせる編集作業をしていたという父親(家族に隠すこともなく)や、娘に「将来こういうことするんだぞ」と笑いながらAVを見せる父親などの話を私は何人もから聞いてきた。そういう経験をしている子どもたちが、80年代からずっと途切れることなくいる。母親も加害に加担することもあれば、夫に抗議すると面倒だからと見て見ぬ振りをしてしまうこともある。
今回、訴えを起こした女性の闘いに心から敬意を示したいと思う。最も安全な場所であってほしい父親の膝の上が、自分を最も苦しめる場所になってしまった。性暴力は和やかな空気のなか、からかうような調子で始まることが珍しくない。また加害者は知人や親族であることのほうが多いとされる。そして、近い関係であればあるほど、和やかな空気で行われる性暴力であればあるほど、被害者自身が秘密を共有する共犯者であるかのように自分を錯覚してしまうのだ。だから、子どもへの被害はその後の苦悩の長さも含めてあまりにも残酷なのだ。
女性は控訴している。高裁の行方をしっかりと見守っていきたい。