パトリック・ハーランさん
パトリック・ハーランさん
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「生活保護」の状態から、奨学金や借金でハーバード大学に進学したパトリック・ハーラン(パックン)。現在では東京都心に邸宅を構え、お金に悩まされずに、家族と楽しく過ごしています。この大逆転の理由を、パックンは「お金を育てる方法」を知っていたから、と語ります。最新刊『パックン式 お金の育て方』では、誰にでもマネできるお金との付き合い方を紹介しています。パックンが10歳から行っていた新聞配達。この習慣が、現在のパックンという人間の基礎になったと言います。「お金の本当の価値を知るための労働」とは? 本質が分かるから、安心してお金と付き合えるパックン式メソッドを、本書から一部を抜粋・再編して大公開します。

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■「人の役に立てばお金がもらえる」とわかった新聞配達のバイト

 僕がお金を稼ぐことの大変さ、そして面白さを知ったのは、やはり10歳から続けた新聞配達のおかげです。

 10歳から高校卒業までの8年間は、大事な試験がある日も、夏休み最初の日も、同級生たちがスキー合宿に行っている間も、友達がお泊り会やホームパーティーで遊び疲れて朝寝坊している週末にも、雨の日も雪の日も、毎日欠かさずやりました。

 初めての配達先の数は、44軒でした。この数字は決して忘れることはありません。

 あの日から僕は、毎朝5時に起きて、配達の準備に取り組みました。

 僕の家の玄関には、毎朝、営業所から束になった新聞が届きました。

 まずはそれをリビングまで持って行って、広告を新聞に1つずつ折り込んでまとめ、それぞれを輪ゴムでパチンと留めます。

 雨の日は新聞をビニール袋に入れなくてはならないので、少し大変でした。

 そして、大きな専用の袋に入れて、自転車のハンドルにかける。そこからロッキー山脈のふもとにある近所の山道を走りながら、1軒ずつ玄関先まで、自転車から新聞をフリスビーのように投げました!

 新聞は朝6時半までに全部配り切らないといけないという決まりもありました。

 あのときに僕が学んだのは、仕事をうまくやって、たくさんの人の役に立てば、それだけ収入が増えるということ。

 できるだけ多くの人に新聞を配れば、僕の財布もその分だけ膨らむ。

 努力が報われるし、自分の生活を支えているお金が社会とつながっていることもわかりました。

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働いて稼ぐのは「限界」もある?