言ってみれば、田園都市線は「地元住民専用の鉄道」なのである。
通勤時間帯の混雑も、嫌われる要素のひとつだろう。毎年、国土交通省から発表される朝ラッシュ時の混雑度では東京メトロ東西線やJR中央快速線などと、いつも1、2位(もちろんワースト)を争っている。コロナ禍によって多少は軽減されたが、私だって朝の上り田園都市線はできれば避けたい。勤め人ではないわが身をありがたく思っている。
ただ、東西線や中央線が嫌われない理由は、客層の違いにもありそうだ。私は朝の通勤ラッシュ時間帯のルポをよく手がける。観察していると面白いもので、東横線の朝ラッシュは9時台になってもダラダラ続く。しかも、田園都市線と比べて、アカぬけたカジュアルなスタイルの女性が多い。自由が丘、代官山、渋谷、明治神宮前(原宿)とファッションタウンが連なる路線らしい。始業時間が遅めのショップ店員、アパレル関係の人が多く利用していると察せられる。それに対して田園都市線は地味。女性もいなくはないが、永田町、大手町へ電車1本で通う、スーツ姿の男性が目立つのだ。どうも華やかさに欠けると見えてしまう。スマートフォンが普及する前は、日本経済新聞を広げる通勤客が非常に多かった。
■よそ者が流入し理想的な町を作った
当時の大井町線(大井町~溝の口間)を延伸する形で溝の口~長津田間が開業し、田園都市線と名付けられたのは1966年だ。その頃の沿線は、丘陵地を切り開いた荒涼たる造成地が広がっているだけで、各駅の利用客も数えるほど。電車は2両編成で走っていた。開発は急激に進み、渋谷~二子玉川園(当時)の新玉川線と田園都市線が全列車直通するよう、運転系統が変わったのが1979年。中央林間まで全通したのは1984年。新玉川線と田園都市線の名称が統合され、渋谷~中央林間間が田園都市線となったのは2000年だ。
ざっと、沿線の成り立ちをさかのぼってみる。渋谷~二子玉川間の各駅は、起点の渋谷以外は世田谷区内にある。同区は面積の9割が住宅地だ。人口が爆発的に増加したのは1950年頃からと古い。『サザエさん』の磯野家が田園都市線・桜新町駅近くと設定されているように、土地価格もまだ安かった時代に引っ越してきた層は、広い自宅敷地を確保できた。それゆえ、今は富裕層が住む地域と見なされがちだが、約70年を経て世代交代も進んでいる。実際は、都心へも近いという理由で、高い賃借料を払ってマンションに住む単身世帯も多い。広い住宅用地は相続税対策で分割され、小規模なマンション、アパートに建て替えられていることが多い。