思い返せば、昔はたばこを1日3~4箱吸っていました。「夕陽のガンマン」のクリント・イーストウッドよろしくね。食生活も、大阪ならではの炭水化物の多い食事が中心でしたね。今思えば、40歳を過ぎたあたりから高血糖の兆候があったかもしれません。その上、血圧も130と少し高く、肥満の傾向もありましたけど、日常生活には支障がなかったんでやり過ごしてしまい、50代になっても夜中にラーメン食べてましたね。
好きだった炭水化物も、今は控えています。退院後は3カ月ごとに通院してるんですが、先日、先生に「糖尿です」と言われて「えぇ!?」って。血糖値が高めだという自覚はありましたが、インスリン注射も打ってなかったし、甘く考えてたんです。このとき初めて、ご飯1杯分が角砂糖14個分と知って、「ウソやん!?」と。次回までに血糖値がどれくらい減るか知りたくて、今は炭水化物がほぼゼロの生活を試しているところです。
■発症後に芽生えた当たり前だったものへの感謝
――大病を経験して、健康に対する考えは変わりましたか?
発症の瞬間、激痛の中で死の足音が聞こえたとき、なぜか「ちくしょう!」と思いました。後から、あの感覚は何やったんやろうと考えると、僕は悔しかったんです。この世にいたら味わえる「五感」がなくなることが。サンマが焼ける匂い、愛犬の感触、一口目のアイスコーヒー……。今はどれもが以前とは違って感じるんです。それを確かめるように、一瞬一瞬を過ごしている自分がいます。
もちろん、健康寿命を延ばして、元気で長生きしたいと思いますよ。でもそれ以上に、日々の生活のそこここに息づく小さな幸せを数えながら生きている喜びと、周囲の人への感謝を感じています。
退院後、夜遅くに大阪のゴルフ練習場へ行ったとき、暗闇に救急病院の明かりが見えたんです。あの病院の中には人の生き死にがあって、今も小さい子がお父さんの無事を必死で祈ってるかもしれへんと思たら悲しくなって……。自分ももし、この先、嫁はんの身に何かあったらと思たら喪失感に押しつぶされそうになったんです。だから今は、毎日嫁はんに「ありがとう」と言うてます。嫁はんはあんまり言うてくれませんけど(笑)。
しょうふくてい・しょうへい
1956 年生まれ、大阪府出身。82 年にデビュー。テレビ「噂の!東京マガジン」「大阪ほんわかテレビ」など、多数の番組に出演。
取材・文/平田由紀
※ 週刊朝日ムック「突然死を防ぐ脳と心臓のいい病院2019」から