19年5月のある夕方、自分と同じ年頃の女性4人と共に車に乗せられ、少女はキャンプを出た。2時間ほど走って着いた建物は、人身売買業者のアジトだった。狭い部屋に少女が20人近く集められていた。

「私たち、売られるのかもしれない」

 誰かが言い出すと、部屋にいた男が「今夜、船でマレーシアに出発するぞ」と冷たく言い放った。静かな部屋に不安に駆られた少女の泣き声が響いた。

 幸い通報を受けて駆けつけた警察によって人身売買業者は逮捕され、彼女たちは解放された。だが少女は言う。

「あの夜のことを思いだすと、いまだに恐ろしくて眠れません。食欲もないし、何もする気がおきないんです。夫にもだまされていたかと思うと早く忘れたいのに」

 人身売買の犠牲者の苦難は、解放後も続く。地元の人権活動家アリ・カビールによれば、保守的なロヒンギャのコミュニティーでは人身売買の犠牲者は「キズモノ」扱いされることもあるという。

「犠牲者たちは『生きて帰ってくるなんて恥知らずだ』とか、『売春婦が我々の評判を落とした』などといった辛辣な言葉で責められる。コミュニティーリーダーに自殺を勧められたという話も聞きました」

 親族も「カネのために娘を売った」と揶揄される。冒頭の女性も、実父に娘を売ったのかと疑われた。そのときのことを思いだすと怒りと悲しみで、彼女の黒い瞳に涙があふれ出た。

「たったひとりの可愛い娘を私が売るはずありません。娘に会いたくてたまらないけれど、人身売買業者に脅されているので、警察に連絡することもできず、どうしたらいいのかわからないんです」

(ライター・増保千尋)

AERA 2020年1月27日号

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