マトンさんに最初に出会ったのは、11月半ば、セッジフィールドという町で開かれたブレグジット(EU離脱)党の集会だった。セッジフィールドは、かつて絶大な人気を誇った労働党のブレア元首相の選挙区だが、集会は離脱手続きが一向に進まないことへのいらだちと、離脱を「妨害」する労働党への憤りが渦巻いていた。

「ブレアが一体ここに何を残した? 地元のパブにブッシュ米大統領を連れてきた以外、レガシー(遺産)が何もない」

「世界中の人が英国に来る。ベストを尽くし、社会に参画して税金を払うなら歓迎だ。問題なのは、仕事がなく、国から経済支援を受け、住む家も世話してもらうような東欧の人たちにも、EUに加盟している限りは門戸を開かねばならないことだ。この国に貢献できる人だけに来てほしい」

 マトンさんは記者にまくし立てた。ただ、実際に東欧からの移民を周辺で見かけることはほとんどない。人口約6600万人の英国で、失業手当など公的手当の受給申請をするEU加盟国からの移民は約11万4千人(2015年)。申請者全体の約2%に過ぎない。それでもEUにいる限り、英国が拠出するお金は一定程度、より豊かでない加盟国に使われる仕組みになっている。それ自体が許せないのだ。

「地元の公営病院は救急部門が閉鎖され、インフラ投資も足りないというのに」

 マトンさんは、離脱に関して激しく強硬路線をとるブレグジット党を支持していたが、完全小選挙区制の下で、新興政党の勝ち目は薄い。「自分の票を無駄にしたくない」と、結局は「親の敵」の保守党に一票を投じた。セッジフィールドでは84年ぶりに保守党が議席を奪還した。

 保守党の大勝は、マトンさんのような有権者に加え「敵失」に支えられた面もある。

 労働党は、離脱支持も残留支持も打ち出さず、もう一度国民投票をして、結果に従うというあいまいな戦略をとった。離脱支持者の多い旧来の地盤だけでなく、リベラルな残留派が多い大学都市や都市部なども地盤とするため、態度を決めきれなかった。保守党が「Get Brexit Done(EU離脱を終わらせる)」というシンプルでわかりやすく強力なメッセージを打ち出したのに対し、労働党は対抗するフレーズを打ち出せなかった。

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