村田和樹(むらた・わじゅ)/1950年、石川県金沢市生まれ。安泰寺では内山興正老師の下で修行。80年に龍昌寺を開山。85年ごろから仲間たちと農地「よろみ村」を開き、坐禅を中心とした山暮らしを営んでいる(撮影/工藤隆太郎)
村田和樹(むらた・わじゅ)/1950年、石川県金沢市生まれ。安泰寺では内山興正老師の下で修行。80年に龍昌寺を開山。85年ごろから仲間たちと農地「よろみ村」を開き、坐禅を中心とした山暮らしを営んでいる(撮影/工藤隆太郎)
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 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。「書店員さんオススメの一冊」では、売り場を預かる各書店の担当者がイチオシの作品を挙げています。

 1980年に龍昌寺(りゅうしょうじ)を開山し、以降仲間たちと農地「よろみ村」を開き、座禅を中心とした山暮らしを営んでいる村田和樹さんが『わたしを生きる』を上梓。村田さんに、同著に込めた思いを聞きました。

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 道元禅師が残した大著『正法眼蔵』は名著ながら難解さで知られる。その中の「現成公案(げんじょうこうあん)」を、仏教になじみのない人たちにも親しみやすく説いたのが村田和樹老師(69)の『わたしを生きる』だ。本文は右に原文、左に現代語訳。訳注には、道元禅師の言葉を理解するための道案内として、さまざまな本から村田老師が選んだ文章や老師自身の言葉が配置されている。

「書き始めてから脱稿するまでに約1カ月。ある意味スーッと書けたので、読みやすいものになったと思います」

 心がけたのは「現代の現代語訳にしよう」ということ。現代語訳と銘打っていても、仏教と縁遠い現代の読者には難解なものもあるからだ。執筆にあたっては現在30代になった長男が中学時代に愛読していた哲学者・池田晶子氏の著作『14歳からの哲学』が頭にあったという。

「14歳に哲学を説く、これは大変です。どこまで噛み砕いて、どこまで表現すれば良いか。自分で表現するのは並々ならぬことだと実感しました」

 村田老師は金沢市にある曹洞宗の寺院に生まれた。幼い頃は運動や勉強が苦手で吃音(きつおん)にも悩み、喧嘩(けんか)に明け暮れた。本などろくに読んだこともない。だが15歳の時、胸にぽっかり穴が開いたようになり、改めて仏門入りを決意。駒澤大学に進む。

「そこで初めて夏目漱石や芥川龍之介を読み、彼らの悩みや苦しみの深さに触れたら、自分の虚しさなんて表面的なものだったと気づきましたね」

 卒業後は京都にあった安泰寺(あんたいじ)で修行に励んだ。実家の別寺を任されたものの、30歳になる年、能登半島の山に新たな僧堂を建てようと志す。3月に山へ入りチェーンソーを操って自ら木を切り、12月には龍昌寺(りゅうしょうじ)を開山。坐禅や農作業の合間に仲間たちとの読書会を開き、多くの人が集う。

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