今回は、11月22~24日のGPシリーズNHK杯から、12月5~8日のGPファイナル、そして12月18~22日の全日本選手権と5週間で3試合をこなすハードスケジュール。しかも、GPファイナルはショートプログラムでの出遅れを挽回するため、フリーでは4回転ルッツを含む4回転ジャンプを4種類5本も跳ぶ自身最高難度の構成で臨んでいた。
短いスパンで練習と休養のバランスをとる、難しいミッションに直面した。
「まあ、調整がうまくいかなかったです。ずっと。自分の体がどんどん、日に日に劣化していく感じはあって。でも、それでもやっぱり、僕は恵まれているので。いろんな方に支えてもらって。体の状態も今できる最高の状態にしてもらった。正直いって、まあ、僕の実力と技術が足りなかったっていう感じですかね。それでも、死力は尽くしたと思っています」
そう、あらん限りの力を出し、9千人以上の観衆を、テレビの前で見守る無数のファンをうならせたのは、20日のショートだ。
冒頭の4回転サルコーは出来栄え点(GOE)で4.30の加点がついた。続く4回転トーループ─3回転トーループの連続ジャンプも、4.34点の加点。スピン、ステップも最高難度のレベル4を獲得し、たたき出した得点は110.72点。全日本選手権は国内大会なので、国際スケート連盟(ISU)が認める公式記録にはならないが、18年のGPシリーズロシア杯で打ち立てたショートの自己最高であり、世界最高でもある110.53点を上回った。
ただ、この輝きを持続できなかった。
「やれることはやってたと思いますし、(フリー前の)6分間(練習)まではよかったですし。感覚はそんなに悪かったわけではないので。まあ、なんか、自分の精神状態と、肉体の状態と、イメージが全部バラバラって、乖離していった感じですね」
12月7日で25歳になった。一般社会では当然若者の部類でも、フィギュアスケートの世界となると少し事情が異なる。この全日本選手権では、33歳の高橋大輔、28歳の山田耕新に次ぐ、年長者の世代だ。