目の前の困っている人に何ができるのか。それはどこにいても誰もが直面することだ。でもわれら凡人は、いつか余裕ができたら人助けもできるかもと思う。でも多くの場合「いつか」は訪れない。みんな余裕なんてないのだ。
中村さんはどうだったのか。余裕があったから人を助けたわけではないに違いない。そればかりか、それがどれほど危険を伴うことであったかをこのたびの事件で思い知る。一体なぜそんなことができたのか。もしかすると、人にとって目の前の人を助けることそのものが、人の人生にとってとても大切な、他の何物でも代用できない、素晴らしい「何か」をもたらすのかもしれないと思ったりするのである。
訃報に際し、多くの人が「かけがえのない人を失った」と語った。でもそんなことを言っている場合じゃない。我々誰もが「かけがえのない人」になれるし、またならねばならないのではないか。中村さんの人生はそのようなことを我々に問いかけたのではないだろうか。
※AERA 2019年12月23日号
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