映画化にあたり、監督の片渕須直(かたぶち・すなお)(59)が主人公役にと願ったのがのんだった。初めて声優に挑むのんは、声だけで表現することに戸惑いがあった。片渕がアフレコでの光景をこう振り返る。
「最初のマイクテストで会ったとき、彼女はちょっと可愛い黄色のワンピースを着てきたんです。セリフだけ言えばいいのかと思っていたようで、そうじゃないんだよと話したら、次は動く気満々でTシャツにジーパンでやってきた。生身の自分として演技すればいいんだろうと。でも、アフレコでは高精度のマイクで口元を狙って録音するので、動くとマイクのエリアから外れちゃう。だから、『動かないでください』と(笑)」
それでも片渕が「のんちゃんがマイクの前に立つとどこかから降臨してくるように、そこにすずさんがいるんです」と言うほど、のんはすずになりきった。
のんきにも見えるすずは「私には欲がない」と思いながら生き、自分の価値を抑え込んでしまう女性。見知らぬ土地へ嫁ぎ、妻の務めを必死で果たそうとする。好きな絵を描くこともやめた彼女に、絵を描いてと言ってくれたのが、遊郭で働いていたリンだった。のんはこんな思いで演じた。
「すずさんは知らない土地の知らない家族のもとへお嫁入りして、必死に奥さんとしての務めを果たそうとします。嫁の条件を満たさなければ自分の居場所はそこにはないと思っている。そんな中でリンさんが、唯一すずさんに絵を描いてと言ってくれた。自分の中にあるものを肯定してもらえたことが、大きな心の支えになっていたと思うんです」
さまざまな困難と向き合うすずを演じるとき、自身もどこか重なる思いがあったのだろうか。そう聞くと、のんはきっぱり答えた。
「私にとっては自分のいる場所が居場所。もともと根拠なき自信があるほうです。とはいえ、すずさんとは境遇も時代背景も全く違うので、そういう不安を自分と重ねるのは難しい」
子どもの頃から生意気でいたずら好きな少女だったと振り返る。郷里は兵庫県の自然豊かでのどかな町。野山が遊び場になった。田んぼで見つけたカエルの片脚を踏んづけ、ぴょんぴょん逃げようとするのを眺めたり、家族にヘビを投げて驚かせたり。秋には近所の家から渋柿を袋いっぱい取ってきて、みっちり怒られたこともある。
「もともと目立ちたがり屋でした。町のカラオケ大会に出たり、お笑い芸人を目指した時期もあります。仲の良い従妹とお正月の宴会で芸をしたり、友だちとトリオを組んでコントを作っては、放課後に皆で披露した。でも、あまり現実的じゃないなと悟り、次の夢に移りましたけど……」
子どもたちに無料で楽器を貸してくれる場所があり、地元のおじさんからギターを習い始めた。毎日通い詰めてエレキギターの手ほどきを受け、中学時代はガールズバンドを結成。メジャーデビューだ!と息巻いて練習したようだ。
(文/歌代幸子)
※記事の続きは「AERA 2019年12月23日号」でご覧いただけます。