福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授 (c)朝日新聞社
福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授 (c)朝日新聞社

 2020年末、地球と火星のあいだに位置する小惑星リュウグウから、探査宇宙船はやぶさ2が帰還し、リュウグウの岩石サンプルを持ち帰ってくる。もしここに、メタンやエタン、アンモニア、さらに複雑な有機化合物である、糖、アミノ酸、核酸成分のようなものが発見されれば、大騒ぎになることは間違いない。糖、アミノ酸、核酸は生命活動の証拠になるからだ。

 しかし、これはあくまで必要条件であり、十分条件ではない。つまり、生命あるところに糖、アミノ酸、核酸は存在しうるが、これらがあるからといって、そこに生命が存在するとは限らない。ここには、生命とは何か、という本質的な問いが含まれている。

 ミラーの実験という有名な研究がある。

 シカゴ大のスタンリー・ミラーが行った実験で、なんと当時、彼はまだ大学院生だった。ガラス容器の中に、化合物、メタン、アンモニア、水素、水を閉じ込め、そこに電圧をかけ、放電エネルギーを与えた。化合物は原始の海に存在していたであろう物質を、また、放電は落雷を模していた。ミラーは地球において最初の生命が発生したときの環境を再現することを試みたのだ。

 放電を続けると、メタン(炭素化合物)とアンモニア(窒素化合物)が反応を起こし、アミノ酸(炭素と窒素が連結した化合物)が生成した。つまり、生命の構成物質が自動的に生成しうることを証明した。

 ミラーの実験は、一躍注目を集めた。その後、原始の地球環境にはメタンやアンモニアはほとんど存在せず、むしろ二酸化炭素や窒素酸化物が主成分だったと考えられるようになり、ミラーの実験の条件設定は必ずしも正しくないと批判されるようになった。

 しかし、彼の仮説の方向性は正しかった。生命が誕生する前に、簡単な化合物が濃縮されたり、熱せられたり、落雷のような高エネルギーを得たりして、徐々に複雑な化合物が形成されるようになり、生命の誕生への道を開いたという仮説である。これは生命進化に先立つ「化学進化」と呼ばれるプロセスである。

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福岡伸一

福岡伸一

福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。

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