個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は“冒険”する理由について。
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大学時代の友人、今は西日本新聞に勤めるT氏からメール。
1年前に亡くなった映画監督の青山真治さんが、その著書『宝ヶ池の沈まぬ亀II』の中で、2014年頃に西島秀俊さんと二朗の主演で映画を企画していたことを書いている、と。
その頃から既に、という青山さんの慧眼に感動してメールした、と。
僕は全くの初耳(企画が成立しなかったので当然だが)だったので、買って読んでみた。
抜粋。
「佐藤二朗さんの新作記事を見て『空白を満たしなさい』の企画をまざまざと思い出し、あれは『共喰い』と『奏鳴曲』の間あたりだから2014年ごろか、あそこで西島/佐藤が実現してたらどうなっていたかと不思議に思う。まさか人を恨んで生きる気はサラサラないが、自分の周囲が驚くべき無知蒙昧な未開の地だったなあとしみじみ。やはり彼らはいいのだ、という厳格な事実を現実が証明している。」
率直に言う。
もし、僕が当時、青山さんの周りにいたとしたら、僕も青山さんを止めただろう。「佐藤二朗なんて無理だよ」。
しかし、青山さんには「確信」があったのだと思う。周りはなんと言おうと、周りと意見が違おうと、自分の選球眼の「確信」が。
この言葉が相応しいか分からないが、いわゆる芸能界というところは、「場所取り合戦」だと聞いたことがある。
この俳優は大体このポジション、あの俳優は大体あのポジション。
友人の、あるプロデューサーから昔、聞いた話。
「これは僕らも反省すべきなんだけど、この俳優のココがいいと分かったら、ずーとそこの役柄で使っちゃうんだよねぇ。本当は力あるから色んな役ができると思うのに」。
ある意味、当然だと思う。「冒険」など、そう容易くできるものではない。先に書いたように、僕だって、安全パイを選ぶかもしれない。
しかし思う。