政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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フランシスコ教皇が来日し、被爆地の長崎と広島などを訪れました。ローマ・カトリック教会のトップの日本訪問は、ヨハネ・パウロ2世以来、約38年ぶりです。ローマ・カトリック教徒数は13億人ですが、そのうち日本の信者は約44万人で、多いとはとても言えません。それなのにあえて日本に来日し、長崎と広島を訪れたのには「被爆地で核廃絶を世界に訴える」という大きな理由がありました。
残念なことに世界の核軍縮は明らかに後退しています。米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約は崩壊し、唯一の被爆国である日本は日米安保で米国の核の傘に入り、核兵器禁止条約にも署名していないのが現実です。そんな中、長崎市の爆心地公園で教皇は、「兵器を制限する国際的な枠組みが崩壊する危機にある」とし、政治指導者に向け「核兵器は、安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない」と、核兵器廃絶を強く訴えたのです。
この時、教皇がキャンドルに灯すための火を手渡したのは、私が学院長を務める鎮西学院高2年生の内山洸士郎さん(16)でした。この学院は爆心地のすぐそばにあったため百四十数名の教員と学生を瞬時にして亡くしており、今も学生たちは「戦争は地獄である」という言葉を胸に市内を平和行進し、キャンパス内にあるモニュメントに祈りと水をあげるという儀式を行っています。
かつて内山さんは平和大使としてバチカンで教皇と会い、核兵器廃絶を訴えたことがあります。今回、長崎の爆心地に行き、そこで鎮西学院の高校生と再会したい、教皇のそのような思いから内山さんのセレモニー参加が決まり、私も学院長としてアテンドしました。
カトリック教徒13億人を束ね、その精神的な柱である教皇の発言には大きな影響力があります。これまでのような米国の庇護の中での安全保障を、平和を考えていくことに限界があることは多くの人が気づいています。それ以外の平和への選択肢を増やしていく、こういう考え方を現政権がどのくらい深刻に受け入れるのか。教皇来日によって、今後の日本の動向に世界中が注目しています。
※AERA 2019年12月9日号